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【議員さんってこんな人!】プロレスラーに憧れた少年が目指すのは、『認知症になっても当たり前に暮らせる社会』。冷静に着実に一歩ずつ、理想を追い続ける―斉藤 哲さん

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浦安市議会議員の素顔をレポートするインタビュー企画【議員さんってこんな人!】。第16回は、父の介護の経験から『認知症になっても当たり前に暮らせる社会』の実現を目指す、斉藤哲(さいとうあきら)さんです。

小さいころの夢はプロレスラー! 不可能に見えることを可能にするために、試行錯誤を重ねる日々

1980年生まれ、浦安市富士見で生まれ育った斉藤さん。浦安南小学校の卒業生でもあります。「小学生の頃は、大人しいんだけど目立ちたいという欲求のある子でした。高学年になるとやんちゃな友達も出来て、将来の夢はプロレスラーだったんですよ。ヒョロヒョロ体型だったので、毎日スクワットしてました」。アントニオ猪木のインタビュー記事を読み、「プロレスラーになるためには陸上部に入って体力を付けよう!」と、中学校では陸上部に入部。陸上に打ち込みますが、中学校3年生になり格闘技への転向を考え始めます。

写真はイメージです

ちょうどその頃、カナダへショートステイへ行く機会が訪れます。「ステイ先で将来はプロレスラーになりたいんだという話をしたら、『日本人なのになんで空手をやらないんだ?』と言われて。そうか、空手か!と思ったんです。そこで高校へ上がってから、筋肉ガチガチで殴り合う格闘技・極真空手の道場へ通いはじめたんです」

写真はイメージです

他の選手たちよりも線が細く、筋肉もつきづらかった斉藤さん。自分より体格の良い相手と戦って勝つには、どうしたらよいか?トレーニングの方法や食事など、様々な角度から研究を重ねます。「自分の体をモルモットのようにして、一つ一つ試しては実践の繰り返し。これが楽しくて、夢中になっていました。一見不可能に見えることをどう可能にするか、この時期に試行錯誤できたのは良い経験だったと思います」

弱者が切り捨てられる現状に、疑問を抱いた大学時代

大学受験では、センター試験1週間前に志望学部を変更。「高校では理系の勉強をしていたんですが、理系の学部へ行ってその道で就職して…という将来が見えなかった。国語の偏差値は30台だったんですが、思い切って文転したんです。結果的には浪人したんですが、浪人時代には予備校で一生涯の友人にも出会えました」。とはいえ文系の学部を受験するには、国語が必須科目のところがほとんど。どうにかできないかと考え、数学受験を活用しつつ受験科目に国語がない慶應義塾を第1希望にするなど綿密に受験戦略を立て、結果的に慶應義塾の経済学部に合格します。大学受験も“不可能を可能にする”ための、試行錯誤の結果なんですね!

斉藤さんが影響を受けたという本たち。手書きのノートは、『野村ノート』を写したものだそう!

学生生活の中では「他人に流されず、自分で興味を持って『やりたい!』と思う道に進もう!」と、『農業経済論』のゼミに所属。弱者が切り捨てられてしまっている現状に問題を感じ、卒業後は金融系企業へ就職します。「生活に困窮した人へ融資を行う会社でした。窓口にいらした方に丁寧に説明すれば、困窮した人を救えるんじゃないかと思ったんです。でも現実はなかなかそうもいかなくて…もっと早い段階で救わないといけないと感じました」。30歳になり、お金の失敗を防ぐwebサービスを提供しているベンチャー企業へ転職。昼夜問わずがむしゃらに働く中で、大きな転機が斉藤さんに降りかかります。

父の認知症が発覚。市民活動を経て、浦安市政へ挑戦

「父の様子がおかしいと気づいて、病院に行ったら『前頭側頭型認知症』と診断されたんです。仕事が忙しくてほとんど父の顔を見ていなかったので、定年後の父を一人にしてしまった自分を責めました。何とかしなきゃという一心で、政策学校『一新塾』の門を叩いたんです。ここがすごい場所で、主体的に目の前の現場を変えて行こうという人たちがたくさん集まっていて。『認知症になっても、それまで通りの暮らしができる社会にしたい』という理念を掲げ、同期3人と2013年8月に『オムソーリ・プロジェクト』を立ち上げました。仕事をしながら就業前後や土日の時間を使って、人生のすべてを注ぐ覚悟で取り組みました」

2017年に開催されたオムソーリ・カフェでの1枚。左が斉藤さん(過去記事より)

同年12月には、浦安市にて初となる認知症カフェ『オムソーリ・カフェ』を開催。認知症の方やその家族、地域の方々など誰でも参加可能で、認知症についての情報交換や相談をすることができます(浦安に住みたい!でも、2017年に取材させていただきました。過去記事はこちら)。現在は入船のまちづくり活動プラザ3階にて、月に一度開催されています。斉藤さんがご自身の活動の原点と位置付ける書籍『寝たきり老人のいる国いない国―真の豊かさへの挑戦』(著:大熊由紀子)や、認知症を扱った書籍も多数取り揃えています。気になる方は、ぜひ一度オムソーリ・カフェへ参加してみてください。

オムソーリ・カフェにて認知症当事者や家族から話を聞く中で、「まだまだ浦安市がやれることはたくさんあるのに」「このままだと、自分たちが歳を取ったときに大変なことになるのでは」という思いが大きくなっていった斉藤さん。一新塾へ現千葉県知事・熊谷俊人さんが講師として登壇したとき、その生き様や政治姿勢に刺激を受け、「議員を目指したい!」と心に決めます。2度の挑戦を経て迎えた2019年の浦安市議会議員選挙には、それまで勤めていた仕事を辞め退路を断って立候補。1592票を獲得し、初当選します。

認知症になっても、当たり前に暮らせる浦安へ

認知症というと、「ならずに死にたい」「なったら人生終わり」というイメージをお持ちの方も多いのではないでしょうか。人生100年時代、そして超高齢化社会に突入した今、自分だけでなく親や配偶者が認知症になることは、決して珍しくありません。駅で電車を待っているとき、スーパーで買い物をしているとき、レストランで食事をしているときに、近くで認知症の方が困っている…そんな場面に遭遇することもあるでしょう。「認知症になったからずっと家にいなきゃいけないのか? そうじゃない。認知症になっても普通に買い物に行って帰ってこれる、今まで通り銀行でお金がおろせる、そんな仕組みが必要です。今年3月の浦安市議会で『認知症条例』が成立しました。これは『認知症になっても、それまで通りの暮らしができる社会』への土台。これからは行政も毎年計画を立てて実行していきますし、認知症の方向けのサービスを企業に考えてもらったり、介護者交流会の拡充や、介護離職を減らす仕組みづくりなど、様々な取り組みがなされていくでしょう。任期満了まであと1年、私もしっかりとやれることをやっていきます」

UDFC活動の様子。斉藤さんは右から二番目(過去記事より)

現在浦安では、認知症の人もそうでない人も住みやすい街『認知症フレンドリー社会』を目指す市民団体『UDFC』が活動中。「浦安に住みたい!」でも、その活動を追わせていただいています(過去記事はこちら)。もともとはRUN伴というイベント開催が主軸でしたが、コロナ禍で開催が延びており、現在はSNSでの発信を中心に活動しています。斉藤さん自身もUDFCに関わり、一緒に活動しているのだそう。「現在、浦安市には推定4~5千人の認知症の方がいらっしゃると言われています。市内の急速な高齢化を考えると、次の10年で倍になっても不思議ではない。認知症になっても当たり前に暮らせる浦安を、1日も早く実現したいです

子どものころから、不可能に見えることを可能にしてきた斉藤さん。認知症の方もそのご家族も毎日楽しく暮らせる社会の実現に向けて、これからも日々奔走されることでしょう。一つひとつのエピソードから、冷静かつ着実に物事を進めていく手腕と、誠実なお人柄を感じました。お忙しい中お話を聞かせてくださり、ありがとうございました!

斉藤哲さんプロフィール…1980年生まれ、浦安市出身。2019年に行なわれた浦安市議会議員選挙にて1592票を獲得。現在1期目。自民党・無所属クラブ。
http://saitoakira.com/
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連載企画【議員さんってこんな人!】では、2019年4月の選挙で選ばれた市議会議員の方々へのインタビューを掲載します。普段の生活では接点の少ない議員さんですが、議員さんも一人の市民。その素顔、お仕事内容や浦安への想いを語っていただきます。乞うご期待!

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