浦安ってこんな街!
11.252020
【議員さんってこんな人!】木曽の山間から上京した青年は、38年のサラリーマン生活ののち市議会議員へ。日本一シニアが輝く街を目指して、日々活動中!ー吉村 啓治さん
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浦安市議会議員の素顔をレポートするインタビュー企画【議員さんってこんな人!】。第11回は、浦安を日本一シニアが輝く街にしたい!と議員活動をされている、吉村啓治(よしむらけいじ)さんです。
山に囲まれて育った子ども時代。高校卒業後に上京
吉村さんは、1950年生まれ。ご出身は長野県木曽郡南木曽町です。「島崎藤村と同じ出身地なんですよ。山間の宿場町でね、妻籠宿が有名です。山と山の間に中央線と木曽街道が帯状に走っていて、木曽ヒノキの産地として栄えました。秋は紅葉が美しく、冬になると葉が落ちて、山は枯れて小さくなる。春になると新芽がふき、初夏のころは山がどんどん膨らむように見えるんです。非常に風光明媚なところです」。いわゆる“団塊の世代”のすぐ下の世代にあたる吉村さん、子どものころ南木曽町には人が多く、校庭に臨時校舎が建てられていたほどだったと言います。「小さな頃はまだ革のグローブがなく布だったように覚えています。それで友達と野球をしたり、川遊びをしたりしていましたね。山菜採りも面白かったです。とにかく人がたくさんいたから、感覚として出世なんてできないだろうと考えていました。高校を卒業するときに、とりあえず都会へ出て頑張ろう!と上京したんです」
就職したのは東輝電気工業株式会社(現東芝ライテック)。当時は高度成長期真っただ中、営業として必死に働きます。その後、25歳のときにフロイント産業株式会社へ転職。造粒・コーティング技術をキーテクノロジーする会社で、医薬品や食品
結婚を機に浦安へ。地域活動の中で、市政への関心が高まる
そんな吉村さんと浦安の出会いは、結婚のタイミングでした。当時会社が社宅として持っていた、富岡に出来たばかりのマンション『サンコーポ浦安』へ住むことになります。「越してきたのはちょうど浦安が市になる少し前。国道357号線が開通し、どんどんマンションが建ち、京葉線が通り、ディズニーが出来て…住んでみたら、どんどん発展していく浦安から目が離せなくなってしまって。もう40年になりますね」
企業戦士として働く傍ら、PTA副会長や管理組合副理事長、自治会の会長など地域活動にも積極的に取り組まれました。「私の住んでいるサンコーポ浦安は、管理がとても行き届いているマンションなんですが、管理人さんや業者に任せっぱなしにするのではなく、住民の元気なシニアの方たちを中心に植栽の手入れ・芝刈り、軽微な塗装をしたり、今はウイルスバスターチームがコロナ対策で共用部の消毒をしたりと良く働いてくださっています。富岡の戸建てエリア内にある富岡第二街区公園も、元気なシニアの方々が公園里親制度で浦安市と連携し、毎日の清掃と植栽の手入れや芝刈りなどを行い、とても美しいですよ(下写真)。
高齢化って負の側面ばかり叫ばれることが多いのですが、『シニア=地域の貴重な人的資源』。経験と知識が豊富で、地域を愛し、時間にも余裕がある…計り知れない力を持っている方ばかりなんです。そんなシニアの方々がもっと活躍できるように、市政に声を届けられたら…と考えるようになりました」。そうと決めたら退路を断つ!とサラリーマン生活に終止符を打ち、覚悟を決めた吉村さん。『浦安を、日本一シニアが輝く街にしたい』と公約を掲げ、2015年の浦安市議会議員選挙にて初当選します。
市民の声を聴き、調べ、提案し、実現する
市議になってから大切にされているのは、とにかく市民の声を聴くこと。地域活動や趣味のテニスやゴルフ・トレッキング・歴史探訪など様々な会に参加したり、活動報告のビラを自ら配布して回ったり、Facebook・Twitter・ブログでの発信も欠かしません。ブログは1日平均2500以上のアクセスがあるのあそう。市議になると決めたときから毎日更新し続け、累計で5300ページ以上も記事を書かれたというからすごいです…!
声を聴いたら、それを市政に反映させるため、調査をして行政にぶつけていきます。実際に吉村さんが関わった現場へ連れて行っていただきました。
「アーバンリゾート浦安の玄関口でもある、美浜と海楽の間にある国道357号から降りてくるところ浦安インターチェンジ、通称クローバーインター。ここってゴミがものすごい散乱していて、かなり汚かったんですよ。管轄が国・県・市と入り組んでいるせいか、定期的な清掃がなされていませんでした。議会で質問したところ、ちょうど就任したばかりの内田市長がすぐに動いてくれて、国・県・市で分担して清掃管理をすることになったんです」。本当だ、キレイになってる…! 確かにここはゴミが多く、なんだか治安も悪い気がして通るのを避けていました。キレイになった今では公園を歩いているような気分になるくらい!
2016年には境川沈船問題について市民相談を受けた吉村さん、市議会の一般質問で取り上げたことから7260万円の予算がつき、45隻の沈船が処理が実現。庁舎前の大型船は55トンのクレーンでも吊り上げられず、何日
写真は2017年4月の様子(吉村さん提供)。
現在の境川の美しい景観は、このときの沈船処理があってこそ。
現在進んでいる入船保育園の建て替え工事。当初は入船東エステートの7号棟に沿うような形で、新しい園舎が建てられる予定でした。音や日照に対する懸念で、住民から相談が寄せられたと言います。
「この時は私が行政に掛け合うよりも、署名活動を行ない、市民の声をまとめて直接行政に訴えたほうが希望を反映させられると思い、そのようにアドバイスをさせていただきました。活動された住民の方々の力で計画は変更され、園舎はシンボルロード沿いに建てられることになったんです」
新浦安駅の北側のスクランブル交差点。ここの自転車置き場が斜めに切り取られ、少し小さくなったのをご存知でしょうか。
「交差点がスクランブルになって、以前よりも人がたまるようになりました。自転車もたくさん通る道で危険も多いので、自転車置き場を斜めにカットして、ボトルネックを解消し見通しを確保しました」
日の出と入船の間、第二湾岸沿いの問題も指摘します。
「ここは自転車の通れる道がないのが問題です。歩道はあるのですが、自転車の通行が禁止されてしまっている。車道側には入ることのできないガードレールがあり、せっかくの広い道が狭い車道だけになっていて、自転車は車道を通らなくてはならない。斜め横断や逆走する無理な横断が起こる原因にもなっていて、非常に危ない。いつか事故が起こるのではと不安です。日の出側の広い歩道、ここを自転車と歩行者どちらも通れるように整備すれば良いと思うのですが…次の議会で提案する予定です」
2年前の西日本豪雨では、災害ボランティアとして現地入りもされたそう。その時の経験を浦安での水害対策にも活かします。
「浦安の場合、堤防が決壊する水害よりも内水氾濫のほうが脅威です。川の水位が下水管よりも上がって降った雨が川に流れなくなってしまうと、逆流して街の中へ溢れてしまう。そのための対策として、排水施設の 貯留槽や貯留管を市内各所につくる工事が行われています。浦安市では排水機場なども定期的に補修点検するなど、水害対策にお金をかけているので比較的安全だと思いますが、一番私が懸念しているのは鉄鋼団地の企業岸壁のところですね。震災で堤防が沈下してしまって、まだ補修が完全でないんです。この問題も次の議会で取り上げる予定です」
浦安を、日本一シニアが輝く街に!
その他、骨髄バンクのドナー側へ補助金を支払う支援事業や、同性同士のパートナーシップ宣誓制度の実現などにも携わっているのだそう。身近な生活の問題から大きな行政の問題まで、本当にいろいろなことを幅広く調べていらっしゃるんですね…!と伝えると、「それが仕事だからね」と吉村さん。「市民の皆さんの声を聴いて、問題を調べて、提案して、それが実現したときというのは、本当に議員冥利に尽きますね」と目を細めます。
現在70歳を迎えた吉村さんですが、あふれ出るパワーと市議会議員のお仕事に対する情熱をひしひしと感じました。『浦安を、日本一シニアが輝く街にしたい』——公約に掲げたその思いの先頭を、自ら走っている吉村さん。現場を回っている最中、子どもたちから「吉村議員だ!」と声をかけられ、笑顔でお話をされている様子もとっても印象的でした。お忙しい中、ありがとうございました!
吉村啓治さんプロフィール…1950年長野県生まれ。2019年4月に行なわれた浦安市議会議員選挙にて1,949票を獲得。現在2期目。立憲民主党所属。
http://d-power.jp/
*連載企画【議員さんってこんな人!】では、2019年4月の選挙で選ばれた市議会議員の方々へのインタビューを掲載します。普段の生活では接点の少ない議員さんですが、議員さんも一人の市民。その素顔、お仕事内容や浦安への想いを語っていただきます。乞うご期待!
*【議員さんってこんな人!】バックナンバーはこちら
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