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浦安ってこんな街!

【議員さんってこんな人!】市議立候補のきっかけは、駅前で配っていたビラと友人の涙。2児の母は今日も笑顔です!—岡野純子さん

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浦安市議会議員の素顔をレポートするインタビュー企画【議員さんってこんな人!】。第二回は、浦安ママ市議の先駆けでもある岡野純子(おかのじゅんこ)さんです。

アナウンサーへの憧れ、挫折…そして、浦安との出会い

京都府出身の岡野さん。子どものころから世話好きで、学級委員長や生徒会なども務めていたのだそう。「どうしてもアナウンサーになりたくて、大学時代はアナウンススクールとダブルスクールしていました。新卒で入るためにあえて大学を留年までして、ようやくNHK松山放送局に入社が決まったんです。なのに、全然向いてなくって…」。初めてテレビの電波に乗る“初鳴き”では、緊張しすぎて伝説に残るくらいカミカミだったのだそう。「アナウンサーって、産まれるときにお母さんのおなかの中に『緊張』の2文字を置いてきたんじゃないかっていうくらい、緊張する感覚がない人ばかりなんです。いろんな努力はしてきたのですが、緊張だけは努力じゃどうにもならなくて…もう本当に向いてないなって感じました」。

一方で、アナウンサーという仕事に対しても考えが変化していきました。「アナウンサーの仕事は原稿を読むこと。何かが残るわけではなく、最後はお決まりのように『皆さんはどうお考えでしょうか』『何とかせねばなりません』…それってなんだか、無責任じゃない?と思うようになりました。そこで結婚を機に、表向き寿退社したんです」。

その後、都内へお引越し。フリーアナウンサーとして式典やイベントの司会を務めるうちに、浦安と出会います。「ある時期から、新浦安のホテルで司会をすることが多くなりました。新浦安で仕事をした後、当時日の出在住の友人宅へお茶しに行くのが定番の流れになっていて、街を通るたびに『すごくキレイな街だな。子育てしやすそうだな』と思っていたんです。当時住んでいた街は子育てにはちょっと…と感じていたので、子どもが産まれたのをきっかけに、新浦安へ引っ越してきました」。

一枚のビラとママ友の涙が、市議会議員への道だった

「アナウンサーを辞めてから、次は『人と直接関わって、誰かの役に立っていると実感できる仕事がしたい』という気持ちが強くなりました。その頃は政治家なんて思ってもみなくて、弁護士になろう!と、ロースクールを受験するために勉強を始めたんです。でも子どもが産まれて、これからどうしようかな…と思っていたとき、ちょうど浦安市長選挙の時期だったんですね。ベビーカー押しながらアトレの前を歩いていたら、市長選のビラを配っていたんです。社会問題には関心が高いほうなので受け取って、じっくり読んで裏を見たら『来年の浦安市議会議員選挙における公認候補を募集してます』って書いてあった。『人と直接関わって、誰かの役に立っていると実感できる仕事がしたい』…ここにあるじゃん、そんな仕事!と閃いたんです」。夫や義両親からも「向いてる!頑張りなよ!」と背中を押された岡野さん。トントン拍子に立候補が決まり、2011年の市議会議員選挙で初当選します。

一期目の旗印は『病児保育の実現』でした。「市議に立候補する前の話なんですが、ママ友で、小さい子どもがいるのを理由に仕事で携わっていた大きなプロジェクトを外されてしまった人がいて…。その友人が、上司に『子どもが病気になっていつ抜けるかもわからない人には任せられない』って言われた、と私の前で号泣したんです。上司が酷いからじゃなく、『その通りだ。反論できなかった』という現状に、彼女は泣いていた。病気の子を親が見られないとき、祖父母を頼りにする方が多いですが、それもダメなら行政がなんとかするしかないんじゃないか、と思いました」。

当時の松崎市長は「子どもが病気のときは親が仕事を休むべき」という考えで、なかなか実現に向かわなかった病児保育。「4年の任期で、計4回質問しました。その間には署名活動をして、ママたちの生の声を集めて、市長へ持って行きました。4回目の質問に立ったとき、市長が今までと同じように『私は子供が病気の時は親が…』と返答をはじめたので、ああまたか、またダメか、と思ったんです。そしたら『…と思っていましたが、様々な声を聴いて、病児保育の実現を…』って! もう涙ボロボロで、その後はしゃくり上げながら質問するという(笑)。生の声が人のハートを動かす瞬間、困っている人のために世の中を変えていけた瞬間でした。この仕事の醍醐味ですね」。

好きな仕事だから、大変だとは思わない

議会は行政のチェック機関。行政のやろうとしていることが本当に市民の求めていることなのかをチェックするため、私たちは常に浦安市民のニーズを把握している必要があります。そのためには、いかに街になじむかが大事なんです」と岡野さん。街になじむ、とはどういうことでしょうか?「たとえば私たちが『市政相談受け付けます』って看板掲げてデンと机に座っていても、相談に来る人って少ない。でも、乳幼児抱えたママ同士が集まると『外へ出たくても授乳室がないから出られない』とか『土曜日も仕事だから保育園では平日と同じように預かってほしい』とか、二言目には不満や要望が出てくるわけです。お祭りで一緒に焼きそば炒めてるときに、ポロっと『実はこんなことがあって…』と話してくださる方もいたり。議員だから敷居が高く感じる方もいるかもしれませんが、私も市民の一人。市民の皆さんから幅広く声を聞けるように、市民の集まる場所へ出かけています」。


※2019年6月14日の市議会の様子

お休みの日ってあるんですか?と伺うと…「ONとOFFの線引きは極めて曖昧な仕事です。スーパーで半額のお肉を買ってたら、全然知らない人からSNSで『岡野純子が半額の肉ばっか買ってるww』なんて書かれたり、ずっと見られていて息詰まるときもあります。でも私の場合、土日のイベントは子どもと一緒に行って楽しめるし、仕事と言っても実生活をちょっと拡大した感じなんです。『好きなことを仕事にすれば一生働かなくてすむ』という孔子の名言があるんですが、まさにそれですね」。

浦安は、圧倒的に“憧れの街”になれる!

浦安ほど可能性を秘めている街は他にない!と岡野さんは力強く言います。「まだまだ活かしきれていないものがたくさんあります。こんなに近くにあるのに入れないビーチを作るには時間がかかるかもしれないけど、稲毛海岸や葛西臨海公園の例を見ればやれないことではない。ディズニーのコンテンツを街にも登場させれば、舞浜に遊びに来た人たちが浦安の街をまわってくれるようになるでしょう。市外からもっと人が訪れる街になります」。

「元町と新町ってなかなか行き来しないという方が多いですが、最近元町にはおしゃれなお店がどんどん増えているし、美味しいお店もたくさんありますよね。新町に住む人たちも絶対楽しめると思います。逆に、新町には元町にない広い公園や海がある。今、元町と新町を結ぶのはバスだけですが、たとえば境川河口から元町を往復する河川舟運が出来たら、人の流れは劇的に変わると思いませんか? 総合公園にカフェがあって、海を見ながらお茶が飲めて、子どもたちは海で遊ぶ。夜はハワイのレストランみたいに、松明の灯りの下でジャズを聴いて、夜景を眺めながらお酒を飲んで…。もっと浦安での日常生活の質を上げていくことが出来るはずなんです。市外に対しても市内に対しても、浦安にはまだまだ活かせるポテンシャルがある。圧倒的に“憧れの街”になれると思います!」。

1時間というインタビュー時間があっという間に感じられるほど、ユーモアたっぷりに語ってくださった岡野議員。議員としての覚悟、母としての大らかさ、そして岡野さんご自身の親しみやすさに触れることができました。市議会のある6月にも関わらず引き受けてくださり、ありがとうございました!


岡野純子さんプロフィール…1978年生まれ、京都府出身。2019年4月21日行われた浦安市議会議員選挙にて3,076票を獲得、現在3期目。無所属。
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*連載企画【議員さんってこんな人!】では、2019年4月の選挙で選ばれた市議会議員の方々へのインタビューを掲載します。普段の生活では接点の少ない議員さんですが、議員さんも一人の市民。その素顔、お仕事内容や浦安への想いを語っていただきます。乞うご期待!

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