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郷土博物館で寝転べる展示があるんだって!? 伊能忠敬・宇田川徳太郎のW展示がじわじわ面白かったぞ

今、浦安市郷土博物館で行われている企画展『伊能大図複製パネル 特別展示』と『測量をめぐる浦安の偉人 宇田川徳太郎 ~ロシアとの国境線をつくった男~』。この2つの企画展、『測量』というテーマでつながるだけではなく、伊能忠敬と宇田川徳太郎という二人の生き方にも共通項があることがわかる展示になっています。日本地図をつくった伊能忠敬と、第7代浦安町長を務めた宇田川徳太郎…人生を感じずにはいられない展示を、取材してきました。

没後200年。浦安にもやってきた、伊能忠敬

小学生も歴史の授業で習う、伊能忠敬。日本地図をつくった人として有名ですよね。今回、伊能忠敬の没後200年を記念して、香取市にある伊能忠敬記念館より伊能大図の原寸大の複製パネルをお借りしたのだそう! 2階の企画展示室に向かうと…畳が敷いてあります。

大きなパネルに、靴を脱いで上がれるようになっています! 原寸大ってこんなに大きいんですね!!

「本来は日本全国あるうちの関東部分だけになりますが、原寸大なので見応えがあります。地名がびっしり書き込まれていたり、神社マークがあったり…ちなみに☆のマークは天測(天体観測)を行った場所で、○マークは宿駅(馬や人足を仕立てたり、宿泊ができた場所)なんです。この『伊能大図』は複製ですが、こんなに間近に見られることってまずないので、じっくり見てみてください。楽しみ方は色々で、ここに上がって寝転んでいる子どもたちもいますね」と学芸員の林さん。


浦安の地名を探すと、ありました!「當代島村」と「猫実村」。「浦安にも立ち寄ったことが、忠敬の測量日記には記されています。このあたりは干潟なので海岸線の測量がしづらく、干潮を待って測量をしていたのでなかなか進まなかったようで…。本当は舟橋で宿泊する予定が、そこまで行けずに行徳で泊まることになったのだそうです」。日記によれば、6月19日に浦安を通り、そのままぐるっと海岸線を北上して青森まで行き、そこから内陸を通って12月に江戸へもどってきたのだとか。

半年で、青森まで歩いて行って帰れるんですね…(ちょっとやってみたい)。

日本地図をつくったことで知られる伊能忠敬ですが、その生涯を追っていくと地図づくりに携わったのは50代以降。若いころ、佐原村(現香取市)の商家である伊能家へ婿入りし、商才を発揮して伊能家を繁栄させたのだそうです。地図をつくったのはいわゆる『第二の人生』でのことで、しかもその動機は日本地図をつくることではなく「地球の大きさを知りたい」という想いから海岸線の測量を始めた…というから驚きです。展示では伊能忠敬の生涯を漫画にまとめた冊子も配布していますので、ぜひご一読を!

忠敬の地図は現在の日本地図と重ねてもほぼズレがないほど正確。全部で10回測量の旅をしている忠敬ですが、浦安を含む関東~東北太平洋側を訪れたのは第2回のこと。まだこの頃は幕府のお墨付きももらっておらず、ほぼ実費で旅をしていたのだそう。自らの情熱から始めたことが、これだけ歴史に残る大仕事になるとは…忠敬本人も思っていなかったことでしょう。

もっと詳しく伊能忠敬について知りたい!という方は、香取市にある伊能忠敬記念館に足を運んでみるのもオススメです。

日露戦争を経験し、樺太の国境線作りに携わった浦安の偉人・宇田川徳太郎

もう一つの展示は、1880年浦安生まれの宇田川徳太郎。一昨年、宇田川徳太郎のご子孫より寄贈いただいた、明治~昭和初期の資料を初公開しています。「この時期の浦安の資料というのは、度重なる水害や火災の影響でほとんど残っていないんです。宇田川徳太郎の資料は、キティ台風の時に徳太郎が小松川に住んでいたこともあって、きれいに保存されていました。そういう意味でも貴重な資料ですね」と林さん。

徳太郎の生涯を、順を追って見ていけるようになっています。

まず出てくるのは日露戦争。「日露戦争は大きな戦争だったので、浦安からも出征した人が多かったんです。ただ、資料がほとんど残っていなくて…。歴史の授業で習う大きな出来事に、当時浦安に住んでいた人が参加していたという資料なので、より歴史を身近に感じられるのではないかと思います」。徳太郎は、日露戦争では戦地の偵察をしていたようです。偵察した先で描いたと思われる地図や、戦地の状況を詳しく書いた葉書なども展示されています。
 

日露戦争といえば…以前猫実4丁目にあった日露戦争の戦役記念碑が、現在市役所前の広場に移動しています。
 
企画展を見たあとは、ぜひこちらの記念碑も見てみてください。裏側には、宇田川徳太郎の名前も見つけることができました! 上から3列目の真ん中よりちょっと右側です。

展示には徳太郎自身がモデルになったという銅像も!

こちらのコーナーには、樺太関係の資料とその後の徳太郎の活動が展示されています。

日露戦争に勝利した後、日本はポーツマス条約によって北緯50度以南の南樺太を譲渡されることになりました。この北緯50度線を天文測量(星を観測して北緯50度線を割り出す)によって明確にし、目印となる境界標を設置する「樺太境界画定委員」のメンバーの一人に、徳太郎が任命されます。どのような経緯で徳太郎が任命されたかは資料からは明らかになっていませんが、おそらく日露戦争での偵察任務が評価されたのではないか、とのこと。

徳太郎たちの手により樺太には4つの石碑が設置されますが、太平洋戦争後樺太は再びロシア(当時のソ連)に帰属、石碑もほとんどが破壊されてしまいました。この国境石をめぐる物語が、企画展示室外のビデオで見られます(10分程度)。

Youtubeでも見られますので、なかなか足を運べない方はこちらをどうぞ。音が出ますのでお気をつけください↓。

樺太から帰還した後、徳太郎は49歳のときに測量事務所を開設。51歳のときには、浦安に女学院も創設したのだそう(いつごろまであったのかは不明)。

第7代浦安町長を2ヶ月間務めたのは66歳のとき、太平洋戦争後の混乱の中でした。さらに75歳のときには不動産屋も開業するなど、年齢を重ねてもそのバイタリティは衰えることなく、常にエネルギッシュな方だったのが感じられます。伊能忠敬にも通じるところがありますね!

展示室外の展示では、ビデオ上映のほか、樺太の現状や最近取り上げられた新聞記事なども見ることが出来ます。

「北方四島のことはよく話題に上りますが、樺太については現在教科書でも小さくしか取り上げられません。この展示を機に、樺太に対する理解を深めてもらえれば…と思います」。

展示は4月22日(日)まで。講演会などのイベントも多数!

来る4月15日(日)には、伊能忠敬記念館の学芸さんをお迎えして、『伊能忠敬の生涯と伊能図』という講演会(事前申込制)を行います。また、宇田川徳太郎展に関連して、4月8日(日)・4月22日(日)には担当学芸員による展示解説が、4月14日(土)には『「樺太日露国境天測標石」を見に行こう!』というイベント(事前申込制)が行われます。ご興味のある方は、ぜひ参加してみてください!

講演会「伊能忠敬の生涯と伊能図」 4月15日(日) 14時~15時半
講師:伊能忠敬記念館学芸員 山口氏
定員50名
事前申込必要
宇田川徳太郎展 担当学芸員による展示解説 4月8日(日)・4月22日(日) 14時~14時半
事前申込不要
「樺太日露国境天測標石」を見に行こう!
~明治神宮外苑 聖徳記念絵画館の見学会~
4月14日(土) 
9時半:東西線「浦安駅」改札前集合
12時:現地解散
定員25名(健脚な方)
参加費500円(入館料)
※電車代は各自負担になります
事前申込必要

2つの企画展を見て、教科書で文字を追うだけでは感じられない、歴史の“中身”に触れられた気がします。また、忠敬・徳太郎お二人の生き方からは、いくつになっても情熱を燃やし続けることの素晴らしさを感じました。人生まだまだこれから、もっと色んなことができるかも!…と、漠然と明るい気持ちにさせてもらいました。こちらの2つの企画展は、どちらも4月22日(日)までの開催です。歴史に触れに、二人の情熱を感じに…浦安市郷土博物館へ、足を運んでみてください!


浦安市郷土博物館…浦安市猫実1-2-7 047-305-4300 
9時半~17時、月曜休館

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