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浦安ってこんな街!

【特集】当代島でゆうゆうライフ

浦安駅からほど近い当代島は、繁華街と住宅街が交わるエリア。いわゆる「元町」と呼ばれる地域の一つですが、浦安出身以外の方も多く住む、さまざまな背景を持つ人々が集まる”まち”です。

今回の取材では、多くの方々にご協力いただき、当時の暮らしを伺うことができました。皆さんが懐かしそうに語ってくれた思い出から、かつての当代島の姿が少しずつ浮かび上がってきました。中でも印象的だったのは、旧江戸川沿いの防波堤を築くために全国から集まってきた職人たちの話。彼らのために、当代島には繁華街ができ、賑わいあるまちへと発展していったそうです。

そんな歴史を経て、今もなお新旧入り混じるまち、当代島。昔も今も、そしてこれからも、人と人が寄り添いながら共に生きていく——そんな”共生のまち”としての姿が、この地域にはあるのかもしれません。

当代島はどんな街?

浦安市当代島は、現在の人口が約1万人。堀江・猫実と並ぶ漁師町として発展し、浦安発祥の地のひとつとして知られています。当代島を含む「元町」エリアは、保元2年(1157年)にはすでに集落があったとされ、当時の人口はごくわずか。塩を焼き、半農半漁の暮らしを営んでいたことが地域資料(浦安町誌)にも記されています。その後、明治22年4月に当代島村・猫実村・堀江村の3村が合併し、「浦安村」が誕生。「浦、安かれ(海辺が安泰でありますように)」との願いを込め、初代村長・新井甚左衛門によって名付けられたと伝えられています。歴史のある当代島には、今もなお当時の面影を残す街並みや建物、地域の人々に語り継がれる記憶が息づいています。

当代島エリアの魅力と現在の姿

当代島エリアの65歳以上の人口は、令和7年時点で16.02%。元町というエリアから、高齢の方が多いという印象を持つ方もいるかもしれませんが、実際には浦安駅に近い立地という利便性から、単身者や若い世代も多く、マンションも数多く建ち並んでいます。

昭和44年には、浦安で初の鉄道駅となる現在の東京メトロ東西線が開通し、当代島でもマンション開発が加速。かつては半農半漁の暮らしが営まれていましたが、昭和37年に漁業権の一部を、昭和46年には全面を放棄したことで、生活や街並みは大きく変化しました。都市化が進み、昔ながらの風景は少なくなりましたが、新しい建物の間には、当時の面影を残す建物や路地が今も点在しています。漁師町としての歴史と、東京のベッドタウンとして発展してきた背景が交差し、今の当代島らしい景観が生まれています。

この地に代々暮らす”浦安のじっこ”をはじめ、堀江や猫実など市内から転居してきた方、子育てやライフスタイルの変化に合わせて移り住んだ方など、さまざまな世代と背景を持つ人々が共に暮らす街、それが当代島です。「駅が近く、生活用品は駅前でなんでも揃う。不便はまったく感じません」「田舎の雰囲気も残っていて、故郷を思い出します」「昔からここが家だから」「”浦安”という名前が気に入って引っ越してきました」――当代島に暮らす方々からは、さまざまな声が聞こえてきます。

昔の当代島

街並みが変わっても、昔の記憶は今も地域の人々のなかに息づいています。かつて当代島では、海苔の生産を家業とする家庭が多く、子どもたちも海苔を売り歩き、その売上で米を買いに行くのが日常だったそうです。猫実や堀江には商店が立ち並び、買い物などに出かけるときには「浦安行ってくんよ」と言っていたとか。「当時はそんなふうに呼んでいた」と、ある方は懐かしそうに語ってくれました。猫実・堀江が当時の”まちなか”として栄えていたことがうかがえますね。また、現在の舟圦緑道にはかつて川が流れ、べか舟がずらりと並んでいました。まだ川が綺麗な時代には川や堰せきで泳ぐ子どもの姿があったそう。そんな子供時代が羨ましいです。

漁業のかたわら、田畑の仕事にも精を出し、多くの水田が広がっていた当時の当代島。現在は千葉県で唯一、農地が存在しない地域となっていますが、かつては農業も人々の暮らしの一部でした。低湿地で塩分を含む土地では米作りが難しく、自給的な農業が中心だったものの、やがて蓮の栽培が盛んになり、商業的な農業へと移行していきました。しかし、度重なる水害により耕地整備が進められるも、昭和54年には農地が完全に消滅。現在ではその跡地にマンションが立ち並び、かつての田んぼの名残が、横長の長方形の土地の形として残っています。

東日本大震災の際には、「特別な被害はなかった」と住民の皆さんが口をそろえます。一時的に水道が止まるなどはあったものの、ライフラインの復旧も早く、他の地域に比べて影響は少なかったそうです。「水田の跡に貝を埋めたから地盤が強いんだよ」と冗談まじりに話す方もいましたが、長年にわたる水害への対策や耕地整備の積み重ねが、今の安定した暮らしを支えているのかもしれません。

夏の風物詩

夏の風物詩といえば、やはり盆踊り。かつて浦安市内では、堀江・猫実・当代島の順番で、13日からそれぞれの地域で盆踊りが行われていたそうです。堀江は正福寺、猫実は花蔵院、当代島は善福寺が会場となり、お盆を過ぎても数日にわたって踊りが続く時代もありました。お寺は地域住民の集まる場所でもあり、選挙の投票所が設けられたり、当代島の子どもたちの学び場として寺子屋も。明治時代、住職が先生を務め、本堂を教室として開校。戦後には、子どもたちが遊び・学べる場所を作ろうと、住職自らお寺の敷地にテニスコートを作ったという話も残っています。

明治から昭和にかけて、電気がなかった時代の盆踊りは、昼間から開催されていたといいます。子どもたちは年に一度のおしゃれをして、太鼓や流行歌に合わせて踊りを楽しんでいたそうです。善福寺の周囲には堰(用水路)があり、夜になると暗く、落ちないように気をつけながら出かけたという思い出も語られています。

盆踊りは、もともと信仰に根ざした風習でしたが、一時期は風紀の乱れなどから、子どもが立ち入れない時代もありました。しかしやがて再び、子どもから大人までが集まる、年に一度の楽しい行事として復活していきます。

夜が更けると、大人たちは境内の墓地のまわりで円になり、「ちょいなちょいな」という歌が大流行。若い男女の出会いの場としてもにぎわい、女性は新しい下駄を履いておしゃれをし、男性は自信に満ちた歌声で流行歌を歌いながら踊りに興じていたそうです。盆踊りは、地域の人々の信仰と社交、そして夏の楽しみが交差する、大切な行事だったことがうかがえますね。

古くからある場所

「東海山善福寺」は、新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)の寺院で、明暦二年(1656年)、興教大師の法孫である栄祐によって開かれたと伝えられています。大正9年には檀家の協力を得て本堂が建立され、昭和62年には大規模な改修工事を実施。さらに平成元年には本堂客殿が竣工し、翌年4月には造園工事が始まりました。本尊として新たに大日如来を祀り、それまで本尊であった阿弥陀如来は裏本尊とされ、観音菩薩・勢至菩薩を脇仏として安置しています。中でも、「内匠堀」で知られる「田中十兵衛」の墓には、市外からも多くの参拝者が訪れるそうです。また、当時の浦安がたびたび水害に見舞われていたことを物語るのが、宝暦2年(1756年)に江戸・八丁堀の石工・上総屋仁兵衛によって建立された宝篋印塔(ほうきょういんとう)。善福寺創建100年と水難者供養のために建てられたもので、昭和61年には浦安市の市指定有形文化財となっています。この他、昭和初期の海難事故で亡くなった6人の漁師の冥福を祈って建立された「六地蔵」や、「サバ大師」「かるめや不動尊」なども境内に祀られています。これらの史跡からも、水に囲まれた浦安という土地で、人々が水と共に生き、祈り、暮らしてきたことがうかがえます。

今と昔が混ざり合う

当代島エリアには、「ずっとここで暮らしたい」と願う住民が多くいます。戸建ての方もマンションの方も、そのほとんどが迷わず「はい」と答えてくださるほど。浦安駅に近く、生活利便性が高いこの街は、東京のベッドタウンとして発展してきました。子どもが巣立ったあとに住まいをフルリノベーションし、自分らしい暮らしを楽しんでいる方も多く見られます。引っ越すのではなく、住み続けるという選択が、今の当代島では”豊かさ”につながっているのかもしれません。

近年は土地価格も上昇傾向にあり、震災やコロナ禍を経てもなお、人気の高さがうかがえます。マンションや建売戸建ても増え、子育て世代の新しい暮らしもこの街に広がりつつあります。小さな子どもから、ゆったり歩くおばあちゃんまで、世代を超えて共に暮らす姿が自然にある街。町のイベントも、昔と変わらず受け継がれ、にぎわいを見せています。

地域の信仰の場である稲荷神社では、年末年始だけでなく年中行事も盛ん。今も多くの人が手を合わせに訪れ、昔ながらの風習を守り続けています。

地域の味もまた、この街を語るうえで欠かせません。たとえば「政丸水産」では、かつて関東一円に魚介類を出荷していた歴史を持ち、現在も佃煮やしぐれ煮を製造・販売中。ふっくら煮あがったアサリのしぐれ煮は、ごはんやお酒のお供にぴったりの逸品です。さらに創業50年以上のとんかつ「かつ甚」が今年夏から「鈴甚丸」としてリニューアル。地域の方に愛された人気のとんかつを残し、漁師が選び作る刺身定食は鮮度抜群。また、体にやさしいパンが並ぶ「自家製酵母のパン屋 カンロ伊織」さんは今年で11 周年。魚介を使った惣菜パンや、旬の果物を使ったパンなども登場し、行くたびに新しい楽しみがあります。そして洋菓子なら、「RUBIA -sweet & sweets-(ルビア)」さん。コンセプトは”わたしを甘やかす、やさしいスイーツ”。身体にやさしい素材を使った焼き菓子が中心で、ワンちゃんと一緒に楽しめるクッキーも。自分への小さなご褒美にぴったりのスイーツがそろっています。

浦安駅西側に広がる当代島は、古くからの住民と新しい住民が共に暮らす街。昔も今も、世代や文化が交わるこの街の雰囲気は、どこか変わらず、当代島らしさとして今に残っています。

※編集室が独自で取材しまとめた記事です。もし記事の内容に誤りがございましたら、お知らせいただければ幸いです。※参考文献:浦安町誌

※この内容は、フリーペーパー「ゆうゆう手帖」Vol.52号に掲載された内容です。

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