浦安ってこんな街!
9.242025
【街レポ!vol11:浦安市の○○に住みたい!】今月は…「舞浜に住みたい!」

浦安市には、猫実、当代島、北栄、堀江、富士見、東野、鉄鋼通り、富岡、今川、弁天、海楽、入船、美浜、舞浜、港、高洲、日の出、明海、千鳥と19 の行政区画があります。その中の1 つの地域の中の、そのまた1 つのスポットに注目して、どんな場所なのかを調べるのがこのコーナー。
今回スポットを当てたのは、浦安の玄関口のひとつ「舞浜」。東京湾に面したリゾートエリアとして知られるこの街ですが、実は観光だけではない、暮らしの魅力もたっぷりあるんです!
「舞浜」はこんな街



「舞浜」という地名が誕生したのは、1975年。第1期海面埋立事業によって新しく生まれました。リゾートアリア「夢の国」が開園したのはその8年後の1983年。1988年には舞浜駅が開業し、90年代には宅地分譲も進み、暮らす街としての「舞浜」も少しずつ形になっていきました。そして、「舞浜」という地名――実は、ちょっとした「都市伝説」のような経緯があったのをご存知ですか?!かつての市史や企業資料では、「アメリカのマイアミビーチにちなんで命名された」と掲載されており、長らくそれが定説として語られてきました。リゾートエリアの煌めきと相まって、海外のリゾート感漂う「マイアミ」説にも一理あり、誰もが疑わなかったはずです。ところが2019年、市が公文書の整理を行った際、新しい町名「舞浜」が誕生した当時の議会の議事録が発見され、そこには、「当時の市長・熊川氏が『浦安の舞にちなんで舞浜と名付けた』と説明し、可決された」と記されていたのです。この確認を受けて、2019年以降は市の公式サイトや資料でも、「『浦安の舞』に由来するという説明が正式」と明記されるように! ちなみに、この「マイアミ」説の名残りは今でもちらほら残っていて、例えば舞浜三丁目にあるベイシニア浦安(老人クラブ)の名称は、今も「マイアミクラブ」。この「マイアミ」説は、地域の人にとっては、愛着ある思い出として残っています。舞浜の住宅地は「お城の城下町」と話す方もいらっしゃったりと、こうして見てみると、「舞浜」は、まるで物語の中に少し足を踏み入れたような世界。非日常と日常が交差する、この二重構造が、「舞浜に住む」楽しさであり豊かさなのかもしれません!



かつての「舞浜」



「舞浜」と聞くと、多くの人が思い浮かべるのはリゾートエリアだと思いますが、ここもまたほんの数十年前までは、漁師たちの生活の場としての役割を果たしていました。現在の大三角公園は、その名の通り、かつて「大三角」と呼ばれた洲の跡。潮が引けばシジミやハマグリが顔を出し、葦が繁っている場所でした。大三角公園には、当時の様子を伝える立て看板があり、「大潮の時には海にもぐってしまう干潟で、稚貝が多く繁殖し…」と当時の様子が記されていて、ここが豊かな漁場であったことを教えてくれます。やがて、漁業権の全面放棄、埋め立てを経て、舞浜は世界に誇る観光地へ。漁師町からリゾートタウンへと姿を変えた舞浜は、これからも新しい物語を紡ぎ続けていきます。

「旧江戸川」沿いでは、釣りを楽しむ人もいました。


住宅地としての「舞浜」



さて、「住宅地」としての舞浜は、舞浜2丁目と3丁目。(ちなみに、「舞浜1丁目」は存在しないって知っていました?!1丁目を予定していた地区には住居がないため、住居表示を実施していないのが現状だそうです)総人口は3540人で、浦安市の19ある行政区画の中で一番住民が少ない地域なんです。(2025年の浦安市住民基本台帳より・工業ゾーンを除く)。観光客でにぎわう「舞浜駅」南口とは反対側、北口を出て歩道橋を渡り、ほんの5分歩けばもう住宅地。ほとんどが第一種低層住居専用地域で、静かで落ち着いた住宅街。埋立当初の分譲時にスーパーや病院などが入る予定だった商業エリアは、一部、第一種住居地域として区分され、現在も銀行とコンビニ(以前はスーパー「ユニマート」!)が残っています。そんな中には、とっても素敵な洋館も――。ここは、「ビースティーレ舞浜美術館」。年に数回、音楽ライブやアート展などさまざまなイベントを開催しているギャラリーです。「おもてなしの空間」として細部までこだわり抜かれた内装がとっても素敵! 1階は喫茶店として営業されていたこともあったそうですが、コロナ禍をきっかけに新しい形へとシフト。現在は年に数回のイベントのみ、門が開かれています。(現在2階はペンションになっていて、宿泊もできるそうです!) しかし、「本当に閑静な街だな…何もないなぁ」とぼんやり調べていたら、ふと目に留まったのは、人と犬のためのケーキ工房「Little Gem(リトルジェム)」さん。お花絞り(あんこで作るお花)の先生でもあるなつこ先生が、ご自宅の工房で作られているというケーキは、その名もユニークな「ワンピース アニバーサリーケーキ」! 一見すると普通のケーキですが、よく見ると、「ワンちゃん用と人用の部分が分かれたホールケーキ」という、なんとも夢のような設計!「一つのケーキで、愛犬も家族と一緒にお祝いできるなんて―」、特別な一品ですので是非チェックしてみてください! (ご注文はインスタグラムのDMから)
「舞浜」に住む



住民の方にお話をうかがって印象的だったのは、「舞浜を守っていく」という強い意識。それは「舞浜に住んでいる」という単なるプライドや憧れ、肩書きではなく、この街に暮らしていくという誇りです。その一環として、現在地域に活気をもたらしている活動が、2年前にスタートした舞浜三丁目の「子ども会」。市内全体では子どもの数が減ってきているなか、舞浜では0歳から中学生までなんと90人以上が参加しているんです。ラジオ体操や映画会、工場見学に潮干狩り…学校も学年もバラバラの子どもたちが集まり、地域を丸ごと遊び場にしながら、いろいろな体験を重ねています。その姿は自然と大人たちの世代間交流にもつながり、「地域で育つ」という言葉がまだ息づいていることを実感させてくれます。ちなみに、子供会の新設を浦安市役所に申請した際には「新しい子ども会ができるなんていったい何年ぶり?!」と驚かれたほどだったそう! また、2020年から始まった「舞浜三丁目マルシェ」は、近所にスーパーがないというお困りの声から生まれた週一回のお買い物の場。課題を解決し、地域の人たちが楽しく元気に暮らせるような取り組みをしているのも、舞浜の魅力です。
リゾートとしての「舞浜」
住民の中には、「いつかは舞浜に」と夢を描いて移り住んできた方もいらっしゃいます。「舞浜に住むのがひとつの目標だった」と話すその方の散歩コースにはリゾートエリアが広がり、気づけば夢の国までもが日常の風景なんです。(羨ましい~!)また、毎日の花火は「時報」として、「そろそろ寝る時間だよ」と子どもたちを促す合図に。そんなエピソードもまた、舞浜ならではですね!


そんな風に、リゾートエリアは、住民にとってはすっかり身近な存在。観光客が宿泊のために訪れるホテルも、地元の人にとってはお食事やアフタヌーンティーを楽しむ「レストラン」です。舞浜駅直結の「イクスピアリ」には舞浜で唯一といわれるスーパーも入っていて、住民にとっては頼れる買い物スポットに。なんと施設内にはビールの醸造所があり、舞浜の地ビール「ハーヴェスト・ムーン」としても有名です!(本紙P17『「ハーヴェスト・ムーン」と「浦安」のちょっとイイ関係』もお楽しみください♪そんなイクスピアリは25周年、おめでとうございます!)海辺の遊歩道は住民の憩いの場として、散歩やジョギング、サイクリングがとっても気持ち良い! 毎年2月と10月には、富士山の山頂に夕日が沈む「ダイヤモンド富士」も見られ、東京ゲートブリッジと富士山を重ねて眺める絶景は圧巻ですよ!

舞浜というと、観光地のイメージが先に立ちますが、それだけでなく、「舞浜」を守るために、住民の方がしっかりとした「街」を作りあげていることがわかりました。そして、非日常の景色を日々の暮らしの中で享受できるなんて――そんな事を知ってしまうと、「舞浜に住みたい!」と思ってしまうこと間違いありませんね!

※編集室が独自で取材しまとめた記事です。もし記事の内容に誤りがございましたら、お知らせいただければ幸いです。
※この内容は、フリーペーパー「浦安に住みたい!」2025年8-9月号に掲載された内容です。
※フリーペーパーに掲載されている日程が変更になる場合があります。最新情報はそれぞれの店舗・主催者にご確認ください。
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