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浦安、震災特集Vol.1「東日本大震災時の浦安」|地震発生時からその後までに、当時を体験したスタッフに話を聞きました。

2024年1月1日、能登半島地震が発生しました。浦安も震度3を観測し、家具等揺れた方もいらっしゃったと思います。浦安が最大震度5強を観測した東日本大震災から、早いもので10年以上…。当時を経験された方も、また震災後に浦安に引っ越してこられた方も、もう一度災害が起きた時について考えてみませんか。震災当時から明和地所で働くスタッフに、当時の状況や不動産市況について聞いてきました。

その時、浦安は…「東日本大震災時の浦安」
体験談:地震発生時からその後まで、当時を体験したスタッフに話を聞きました。

(株)明和地所 新浦安本店 賃貸コンサルティング事業部 孫金さん

2013年入社の孫さんは、中国出身。震災当時はまだ大学生で、インターンシップを利用して明和地所に来ていました。日本より地震の少ない中国で育った孫さんが体験した「東日本大震災」とは…。お話を聞いてきました。

―震災当日、孫さんはインターンシップで会社に来て2日目だったんですよね?

孫:そうなんです。地震発生時、私はちょうど入船にある明和地所本店の前にいました。自転車は倒れ、人は立っていられず座り込み、散歩中の犬は震え、小さな子は泣き出してしまい…地面は波打つように動いて、そしたら水と砂が吹き出してきて。電柱はだんだん斜めになるし、このまま地震が続いたら建物も倒れるんじゃないか⁉って、初めて見る光景にただただ驚いたのを覚えています。

―そんな中、冷静に写真を撮っていた孫さん。凄いですね…。

孫:中国は日本ほど地震が起きないので、地震の経験がほぼ無かったんです。なので「怖い」という感覚がなかったんですよね。将来の記録にもなるかなと思って写真を撮りました。

―地震直後の明和地所はどうなっていましたか?

孫:揺れがおさまってからは会社の電話が鳴りっぱなしで、会社の皆はその対応に追われていました。でもしばらくすると電話も繋がらなくなり…。それからは被害確認のために、皆で市内の物件を見て回りました。

―帰宅は出来ましたか?

孫:当時私は都内に住んでいたのですが、近所に住む先輩が車で浦安に来ていたので一緒に乗せてもらいました。道路の渋滞が凄くて、歩いた方が早いのでは…という速度。通常2時間程度の道のりが7時間ほどかかりました。道も帰宅途中の方なのか、人だらけでしたね。

―震災の次の日は、どう過ごしましたか?

孫:出社しなければと思い、なんとか東京駅まで出るものの京葉線が動いておらず困りました。なんとか会社についてからは、スコップを持って市内の泥かき作業をしました。「え?来たの⁉」「休んで良かったのに!」と会う人皆に驚かれました。

―状況が状況だし、学生でしたし、会社に来なくてもいい立場だったと思いますよ…。

孫:将来のためにしっかり知っておきたいとの思いが強かったですね。実際、あの時の経験が今の仕事にも活かせています。私は外国籍のお客様を対応することも多いのですが、地震を知らない方も多く…。「地震が起きたらこう行動する」というのは、身を持て経験したからこそ伝えられていると思います。あとは、社員の皆がとても優しかったんです。当時、中国語しか喋れなかった私にゆっくり日本語やジェスチャーで話してくれて、皆大変なのに丁寧に対応してくれました。そんな会社の人達に単純に会いたいと思ったのも、出社した理由の一つです。外国にいても孤独じゃない…この優しさも、一緒に伝えていきたいと思っています。

株式会社明和地所(新浦安本店)

浦安市入船4-1-1
電話:0120-380-791
営業時間:10:00-18:00
定休日:水曜定休、年末年始等
HP:https://www.meiwajisho.co.jp/

※この内容は、フリーペーパー「浦安に住みたい!」2024年3-4月号に掲載された内容です。
※フリーペーパーに掲載されている日程が変更になる場合があります。最新情報はそれぞれの店舗・主催者にご確認ください。

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