浦安ってこんな街!
3.142016
【写真で振り返る】3.11を忘れない
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思い起こすこと5年前、東日本大震災がありました。
当時、私はホームセンターで働いていて、忘れもしない14時46分。店内の品物がガシャンガシャン音をたてて落ち、店内カウンターの後ろにある大きなキャビネットが倒れました。もちろん店内にはお客様がいらして、とにかく安全なところへ避難をさせないとと必死でした。店内のお客様がお店から出て、私たち従業員が外にでると、水があちこちから吹き出し、泥もどんどん出てきて、「一体ここは何なんだ。別世界だ」と思いました。
お店の裏にある搬入口はまるで船の上にいるような感じで浮いてしまい、外側も落ちたのか浮いたのかわからない状態でした。
お店が落ち着き家に帰っていいということになり、帰宅。扉が開くか心配でしたが、無事開きました。
家のリビングは何ともありませんでしたが、子ども部屋はひどいことに…
市役所からの放送で子どもを学校へ迎えに行くようにとのことだったので、息子を迎えに行き、帰ってくると靴は泥だらけ。
家の玄関から下を見下ろしたら、沼状態。これが液状化現象なのですね。
その日の夜は何とか生活ができたものの、次の日からはお水が全くでない…こんなことは生まれて初めてで、頭が真っ白になりました。トイレも行かれなくなり、近くの中学校に仮設トイレが置かれ、お水も自衛隊の給水車からいただくようになりました。
その週末からはマンションの人みんなで砂の掻き出しをやり、通勤・通学の経路を確保する作業を始めました。(これは週末のたびに続きました。)
某テーマパークのダンサーさんはほとんどの方が母国に帰られましたが、残っていた方は一緒にお手伝いをしてくれました。嬉しかったです。
墓地公園もひどいことに…
みなさんお墓を心配されていらっしゃいました。墓地は大丈夫でしたが、墓地の裏側の岩盤はすごかったです。
ここからだけ見れば何もないように見えますよね。いつもの穏やかな街並みです。
忘れもしないのは、自分の家からお水が出た日!
震災が3/11、お水が出た日は3/20。それまでは元町の銭湯へ通い、コインランドリーでお洗濯をして過ごし、お水は朝息子が近くの中学校へもらいに行ってました。
東北の方に比べたら少ない被害だとは思いますが、この日は忘れてはいけない日です。
今はドアを閉めてしまえば、隣は誰なのか、何をしているのか全くわからない…そんな方も多いのではないでしょうか。昔は隣のおうちにお砂糖を借りに行ったりしたもんだなんて話を聞かされることはありますが、自分とは無縁の世界に感じます。
震災を経験して、みんなで力を合わせること、助け合うこと、そして自分のできることは一生懸命やることを大人も子どもも学んだのではないかと思います。
二度とこのようなことは起きて欲しくない。だけど、地震大国の日本なのでまたいつどこで起きるかわかりません。そんな時のためにも備えるものは備えて、冷静に対処したいですね。
人間の記憶は薄れていってしまうけど、3.11を忘れないでいたいと思います。
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