浦安ってこんな街!
1.222016
【境川の水質】 護岸のカキが果たす役割!
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江戸時代に、浦安の前身となる猫実、堀江の2つの集落を隔てる境でもあった「境川」。その姿は歌川広重の「名所江戸百景」にも出てきます。
明治22年に猫実・堀江に加えて当代島の三村が合併し浦安村が誕生します。そして村が町に。漁業の町が埋め立てを経て、現在の都心に近い良好な住宅地の市へとの大きな変化を住民とともに見てきたのも「境川」です。
この川は街の象徴でもある一方で、浦安の漁業権放棄を引き起こした「黒い水事件」によって水質の悪化した場所でもあります。
「黒い水事件」とは、昭和33年に起こった工場の排水による公害事件です。浦安市立図書館のホームページに詳細の記載がありましたので、引用します。
昭和33年4月、江戸川上流にある本州製紙江戸川工場から廃水された真っ黒な汚水によって浦安の漁場が汚染され、魚介類に大きな被害がでた。浦安の漁民たちは何度も工場側と折衝したが、汚水は流され続けた。同年5月、集団抗議をすべく工場に乗り込んだところ、汚水が流されているのを目前にみて激怒した漁民たちが工場のガラスを割ったり、石やレンガを投げ込む騒動となってしまった。そして、6月10日、度重なる会社側の不誠実な対応に抗議すべく、毒水放流反対の町民大会を開催した。大会終了後、陳情のために工場に訪れたが、鉄の門扉を固く閉ざす工場側の態度に激昂した漁民たちは門扉を押し破って工場内になだれ込み、会社側の要請により待機していた警察官との乱闘になった。この結果、漁民から重軽傷者105人をだすという大事件になってしまった。
これをきっかけに政府は「公共用水域の水質保全に関する法律」と「工場排水等の規制に関する法律」を相次いで公布し、この事件は戦後の経済一辺倒の政策への警鐘となった。また、このころから浦安の漁場は京浜工業地帯の埋立てなどにより水質が悪化し漁獲量は減少の一途であったため、昭和37年の漁業権一部放棄を経て、ついに昭和46年に漁業権を全面放棄した。 浦安市立図書館HPより引用
それ以来、はや50年。「境川」も随分と姿を変えていきました。元々は全長2キロメートルほどでしたが、埋め立てにより、河口まで3キロメートル延長され、市役所脇の水門を境にして新旧の境川ともいうべき姿に変わります。それでも境川は生きています。秋にはハゼを釣りに川いっぱいに家族連れが集まりますし、新町の河口に近い両岸にはびっしりと天然のカキが付着しています。彼らは1日に2度繰り返される満潮と干潮で水のろ過をしてくれているのです。
また、境川の東西両水門は千葉県からの委託を受け市が管理しているそうですが、この水門は、地盤の低い元町地区を水害から守るために設置していることから、東京湾と旧江戸川の潮位が一定の水位以下にならないと開けることができません。このため現在のところ、1年間のうちで約240日、1日2回、1回で平均3時間程度が水門を開けることができる時間です。その水位の上下がまさに川のろ過を行っているのです。
特に河口そばの両岸にはいっぱいのカキが埋め尽くし、水質の改善に頑張っています。残念ながら、衛生上食用には適さないカキだそうですが…今度、是非ともご覧になってみて下さい。
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