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【浦安のヒト2016】大晦日の夜は、浦安の神社へ。その1

2016年の締めくくり。大晦日の夜は、どちらの神社へ行かれていますか?浦安にも、地域の人々に守り続けられた自慢の神社が3つあります。
今回はそんな三神社について、神主さんにお伺いをしてきました。今年の大晦日の夜は、地元浦安の神社へお参りに行きませんか?

【神主 黒川 彰吾さん】どの地域の方でも、気軽に参拝していただきたいんです。

今年は浦安三社例大祭もあり、「浦安の三社」が大いに盛り上がりを見せた年でもありました。浦安三社例大祭の時に、三社のこと・氏子さんのことをご紹介させていただきましたが、知っているようで知らないことがまだまだ沢山ありそうです。 今回は三神社を守る神主さんに、浦
安三社の魅力についてお伺いをしてきました。

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―神主の黒川さんは、今年32歳。出身は栃木県でご実家も栃木に古くから残る神職の家系だったそうで…
黒川さん「浦安には小学校の時に越してきました。高校の時、将来やりたいことを考えた時に『神職』という言葉がふわっと思い浮かび…。その頃、ちょうど清瀧神社で雅楽の練習会が行われていて、『将来その道に進むなら雅楽くらい出来ないと駄目だ!』と背中を押され、練習に通いはじめたのが清瀧神社との出会いでした。
 それから大学に進み、在学中も神社のお手伝いをさせていただきました。その時の経験はとても貴重で、神社の方はもちろん、浦安の氏子さん達との距離が近く、温かくていいな…と思っていました。卒業後は若い頃の冒険心もあり、都内にある大きな神社に奉職しました。とても勉強になりましたし、私を大きく成長させてくれた時間でした。でも、学生の時の『浦安での経験』が頭から離れず、都内の神社を退社してから、清瀧神社でお勤めをさせていただいています。」

浦安三神社の歴史。

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黒川さん
「清瀧神社の創建は1196年、鎌倉時代ですね。宝城院(清瀧神社隣のお寺)の本尊を守る神様として創建されたのがきっかけだそうです。豊受神社は1157年、こちらは浦安市最古の神社と言われています。稲荷神社は1689年と、三つともそれぞれ歴史のある神社なんですよ。」
―鎌倉時代・・・本当ですね! お寺を守る神様として建てられたのが神社の始まりだったんですね。
黒川さん「昔はそう言った神社が多かったんです。豊受神社も隣には花蔵院があり、こちらもお寺がきっかけで創建されたと言われています。」
―確かに、日本各地でも敷地内に神社のあるお寺を見かけますね。
黒川さん「皆さんもよくご存知の、大宰府天満宮さん等もそうですね。境内には光明禅寺というお寺があります。実は清瀧神社と宝城院も昔は同じ敷地内にあったそうなのですが、明治時代、神仏分離令が出された時に、敷地が分けられたそうです。その時に、現在神社とお寺の間を通っている路地が出来た、と言われています。」
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―明治以降はどう変わったのですか?
黒川さん「『地域の方々の神社』としての色が濃くなってきたそうです。清瀧神社のある堀江地区は漁師の街だったので海の神様「大綿積神」を、豊受神社のある猫実地区は農家と漁師が半々ぐらいだったこともあり、食べ物の神様「豊受姫大神」を、稲荷神社のある当代島地区は農家も多かったので「豊受大神」を祀っています。現存する清瀧神社の本殿は161年前に建て替えられたもので、市の指定有形文化財にも指定されているんですよ。」
―161年前! 歴史的にも貴重な建物ですね。それぞれの社殿の造りも、注目ポイントなんですよね。
黒川さん「清瀧神社と稲荷神社は、拝殿の奥に本殿がある、神社の一般的な造りになっています。豊受神社は本殿と拝殿が同じ建物内にあり、お寺の構造に似ています。これは猫実地区の方々が仏教を尊む方が多く、建て替えの時に現在のような造りになったのでは、と言われています。」
―地域性を感じるお話ですね。
黒川さん「浦安の神社は本当に氏子さん達の心が反映された、とても温かな神社だと思います。神殿の建て替えも氏子さん達の寄付金が無いと出来ません。何百年も前から神社が現在に残っていけるのも、そういった地域の方々の神社を守るという気持ちと、地域を大切にする優しさから成り立っているんだと思います。

…続きは明日公開! ※こちらはフリーペーパー「浦安に住みたい!11・12月号」に掲載された内容です。

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