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【コロナに負けるなシリーズ】浦安屋形船②浦安屋形船の歩み~浦安市郷土博物館~

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※この内容は、フリーペーパー「浦安に住みたい!」2020年9.10号に掲載された内容です。

浦安と言えば「ディズニーリゾート」というイメージが強いですが、昔は「漁師町」として栄えた町。昨年そのシンボルとも言える「浦安魚市場」が閉鎖してしまったのはとても悲しい記憶ですが、浦安の「屋形船」は「漁業」と深い関係があります。浦安の屋形船の歴史を調べるために「浦安市郷土博物館」へ。郷土博物館の貴重な昔の資料や写真、様々なお話を聞くことができました。

(浦安市郷土博物館 屋外展示場の船宿の前にて。浦安細川流投網保存会(浦安市指定無形文化財)会長 内田守吉さん。)

浦安が誕生したのは1889年、古くから漁村として栄えてきた当代島、猫実、堀江の3村が合併し「安らかな魚浦」になるようにと命名された「浦安」。

その名の通り、川と海に囲まれた浦安は、遠浅で魚や貝、海藻などが良く採れた格好の漁場で、浦安の屋形船の原型である「投網漁」が盛んにおこなわれていました。

郷土博物館の屋外展示場では、昭和27年ごろの漁師町「浦安」が体感でき、船宿を再現した「船宿江戸川」もあります。

船宿は、かつての境川や旧江戸川沿いに多く立ち並び、釣り船や遊ぶ船の手配、海水浴や潮干狩りへの送迎、釣具やえさの販売などをされていました。(そのころの浦安、埋立地である中町や新町は当然まだ海の底…。現在、市役所庁舎が建っている辺りには「海楽園」と呼ばれる海水浴場があったそうです!)
散策していると、偶然にも「浦安細川流投網保存会」の内田守吉会長にお会いすることができ、お話しをお伺いすることができました。(ちなみにこちらの内田氏、浦安で初めて屋根付きの投網船「屋形船」を買った方なんですって!)

「細川流」は「すくい取り」と言われる豪快な投げ方で、船の上からパァっと広がるその網は、真夏の夜空に広がる花火を思わせるほどと人々を魅了したそうです。

投網漁は元々漁法の一つでしたが、その見事さから、徐々に観光と結びつくことになって「遊漁」へと変化し、東京湾の夏の風物詩となったと言われています。いつごろからそうなったのかは定かではありませんが、1919年に江東区の高橋から浦安への通船が始まり、都内から浦安へ海遊びの観光が増加したために船宿が増えたと言われているそうです。

(浦安市郷土博物館所蔵「千葉県浦安町鳥瞰」の裏面)こちらは1931年、今から90年ほど前の「浦安観光案内」。見るとやはり多くの船宿と、海や魚に関係することが書かれています。)

遊漁となった「投網漁」では、一度に6名~10名ほどのお客を乗せて出航。採れた魚はその場でお刺身や天ぷらにしてお客に振舞われ、その歓談のひと時に、多くの人を楽しませてきました。

次第に投網船に屋根が付き、現在の「屋形船」の形になりました。

伝統を絶やさないよう、時代のスタイルに合わせながら守り続けてきた浦安の船宿。現在、数は少なくなってしまいましたが、受け継がれて来た浦安の屋形船を、今でも各船宿さんで楽しむことができます。

浦安市郷土博物館
047-305-4300
浦安市猫実1-2-7
9:30~17:00
休館日 月曜日

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