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【浦安三社祭2024】未来の三社祭を担う子どもたちへ…祭りの楽しさを伝える「山車組」とは?「だって、祭りだから」その言葉に詰まった浦安三社祭への想い。| 当代島「稲荷神社」・山車組 榎本 俊夫さん

晴天に恵まれた5月上旬の土曜日。この時期には珍しい汗ばむ陽気の中、稲荷神社境内では十数人の方々が立派な山車(だし)を組み上げている真っ最中でした。

「祭りが終わったら解体し、また祭り前に組み直すんですよ」そう教えてくれたのが、稲荷神社山車組の榎本俊夫さん。生まれたときから三社祭があり「三社祭は身体の一部のようなもの」という榎本さんは、若い頃は担ぎ手として神輿を担ぎ、50代で稲荷神社の総代となって祭りをまとめる役割を担っていました。

「昔は各神社・各地域が個々に行っていた祭りですが、自分が総代の頃に各神社の会の人たちが仲良くなって、三社で一緒にやろうってなったんです」。祭りの名前が“浦安三社例大祭”となったのもその頃、2000年開催の時からなんだそう。

「最初の企画から全て地域の人で作り上げている祭りって、他ではなかなか無いと思うんですよね。
中止となった時期はあったけれど、そんな祭りが100年以上続いていることは誇らしいし、我々も後世に受け継いでいかなければならないと思っています」。今年は叶わなかったけれど、いつか清瀧・稲荷・豊受の三神社の神輿が同じルートを渡御できたら…未来への希望として託したいと、榎本さんは朗らかに笑います。

お話を伺った、山車組の榎本さん。

そんな榎本さんが担当する「山車組」も、次の世代へと祭りを繋げる重要な役割を持っています。
「昔は山車を専門に扱う組があったんだけど、無くなってしまってね。今は地域の氏子の中から毎回選出されて、『山車組』として山車を担当します」。山車組に選出されるのは、かつて総代や世話人を担われたベテランの方がほとんどだそう。

祭り当日、山車にはお囃子隊が乗り先頭を切って宮神輿を誘導、そしてそんな山車を引くのは地域の子どもたちです。どうして子ども達なのか、伺うと「先頭を切って神輿を誘導するって、なかなか出来る体験じゃないじゃない」と榎本さん。

ワクワクする、楽しい!って子ども達が感じてくれて、次の祭りにも参加したいと思ってくれる。そうやって三社祭は続いていく、私が子どもの時もそうだったから」。山車から始まり、子ども神輿、宮神輿の担ぎ手、そして総代や世話人として祭りの中心となってきた方々が、第一線を次の世代に託し、また山車へと戻ってきて、今度は未来の三社祭を担うであろう子ども達のお世話をする…ぐるっと巡るような、そんな地域の人たちの関係がとても素敵で、この地域に生まれた子ども達が羨ましくも思いました。

そんな稲荷神社・宮神輿の見どころを榎本さんに伺うと「担ぎ方がキレイなところ!」と迷わずに教えてくださいました。

稲荷神社の宮神輿は、ピタッ、ビシッ、と止まる・動くのメリハリがあって、他方面からも「担ぎ方がとてもキレイ」とよく聞きます。なぜそんな息の合った担ぎ方が出来るのか…それは三社祭前に担ぎ手さん達が練習をするからなんですって!祭り前に練習をする地域は珍しく、そんな息の合ったキレイな神輿担ぎは稲荷神社の見どころの一つ。ぜひ祭り当日は近くで、その迫力を見学してみて!

休みの日にも関わらずこうやって多くの方が集まり祭りの準備をする、大変ではないですか?と伺うと「だって、祭りだから」と今日一番の笑顔で話す榎本さん。

「祭りだから」…この言葉に全てが詰まっているように感じました。

■稲荷神社 浦安市当代島3-11-1

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