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【浦安の老舗】昭和から平成、そして令和へ。いつの時代も子どもたちを優しく見守ってくれる駄菓子屋さん『重兵衛商店』

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30年前にはどこの街にもあった駄菓子屋さん。遠足の前日には100円玉を3枚握って、ワクワクしながら通ったこと。カラフルな小さいお菓子が所狭しと棚に並ぶ中で、お気に入りの駄菓子を小さなカゴに入れながら、習ったばかりの足し算をおばちゃんと答え合わせしたこと。うまい棒、ブタメン、ボンタンアメ…。スーパーが増え、コンビニが増え、そんな駄菓子屋さんも姿を消しつつあります。

浦安市堀江3丁目、漁師町の風情残るエリア。フラワー通りから細い路地を入っていくと、駄菓子屋さん『重兵衛商店』の緑色のテントが見えてきます。テントの文字「重兵衛商店」の隣に書かれた「はなくそ一発」。「だいぶ汚くなっちゃったけどね、まだ写真撮る人がいるから消せないの」と笑う、重兵衛商店・店主の内田朋子さん。2020年にテレビ東京系で放映された『浦安鉄筋家族』では、ロケ地として大活躍した重兵衛商店。今でもその影響は大きく、5月のGWにはファンの方が仙台から訪れたのだそう!

漁師町だったころの浦安と、駄菓子

重兵衛商店がここにお店を構えたのは、戦後すぐのこと。「父が戦争から戻ってこなくてね、留守を守るために祖父母と母が駄菓子屋を始めたんです。父は結局戦死していたから、私は会ったことがないの」。内田さんは当時4、5歳。現在公園になっている場所はもともと銭湯で、熱いお湯で汗を流した帰りにラムネを飲みに来るお客さんや、お店の裏にあったそろばん教室帰りに寄る子どもたちなど、大賑わいだったと言います。

「子どものころはね、友達が駄菓子を買いに来ると、私は引っ込んじゃってました。恥ずかしくてお店を手伝えなかった。お店に置いてある不二家のフランスキャラメルが好きでね、赤白青のトリコロールカラーの箱に入っているのだけど、箱だと値段が高いから、子どもでも買えるようにってバラにして売っててね。あれは美味しかったですね」。お菓子が大好きだったという内田さん、虫歯にも悩まされたと笑います。「あの頃はまだ停電が多くて。歯医者さんで虫歯を削ってもらうのだけど、足踏みモーターで電気を送って削るから、余計痛く感じてね…」

現在の店内の様子。カラフルな駄菓子がたくさん!

昔の駄菓子屋さんでは、現在のように個包装にされていないものがほとんど。瓶に入れたおせんべいやチョコレートなどを手で取っていくスタイルでした。「祖母がよく作っていたのは、貝殻の上にさつまいもを蒸かして潰したものを茶巾に絞って、頭のところにちょこんと食紅を乗せたおやつ。祖父はお店の裏で薪をくべて、銅鍋でおでんを煮ていました。こんぶとか大根とかね。あとは甘納豆のくずを丸めたあんこ玉が人気でね、ここでもよく売れていたし、役場前の橋のたもと(現在の宮前通り・新橋)でも売ってました」

すぐそばに工場のある美津屋さんのおかき(過去記事参照)も、昔から扱っているのだそう!「美津屋さんのおせんべいは“幻のおせんべい”でね。よくお客さんから『幻のおせんべい、ありますか?』なんて言われてました。当時は丸いのとか四角いのとかもあったんですよ」

上段には大袋で積まれた美津屋さんのおかき。この大袋ごと購入するお客様もいらっしゃるのだそう!もちろん下段に小さな袋のものもあります。

子どもの社交場であり、大人が子どもに戻れる場

内田さんがお店に立つようになったのは、結婚・出産を経てから。「もう50年くらい前になるかしらね。最初は仕入れを手伝ったり、お店に立ったり。そうこうするうちに、斜向かいの銭湯がなくなって公園になって。昔は大きな遊具がたくさんあって、子どもたちが走り回って遊んでました。今は危ないからって撤去されちゃった遊具も多いけれど、あのころの子どもたちは楽しそうだった…」。昔は取っ組み合いのけんかをする子どもたちも多かったのだそう。今は見ないわね、と内田さん。

重兵衛商店のはす向かいにある「なかよし街区公園」。その昔はここに銭湯がありました。

子どもたちには“流れ”があるそうで、お店に遊びに来ても「男の子がいるから」と女の子は入ってこなかったり、学年が上がると友達が変わってずっと来ていた子が来なくなったり。子どもには子どものルールと縄張り意識があって、繰り広げられる人間模様がある。駄菓子屋さんは子どもにとっての社交場なのかもしれません。

子どもたちに人気の駄菓子は、小さい子だとアンパンマンなどのキャラクターもの、小学生になるとロールキャンディーや長~いゼリー。土日になると家族連れで訪れるお客様も多く、パパやママが懐かしがって「すっぱいソーダにご用心」や「あんこ玉」を買っていくこともあるのだそう。確かに、カラフルな駄菓子が所狭しと並ぶ売り場を一つひとつ見て行くと、「これ知ってる!」「これめっちゃ好きだった!」という駄菓子が続々見つかります。ついつい大人も子どもに戻れちゃう、それが駄菓子屋さんなんですね☆

お店の表には、これまた懐かしのゲーム機が。そうそう、このじゃんけんめちゃくちゃやったなぁ…! 「メダルを貯めるとお菓子と交換できるんです。あんまりエスカレートしすぎないように、子どもたちには『30枚くらいまでにしなね』と声をかけています」と内田さん。親以外の大人から社会のルールを教えてもらえる機会ってとっても貴重ですよね。駄菓子屋さんとしてだけでなく地域社会にとっても、重兵衛商店という場所、そして内田さんのありがたさを感じます。

浦安の小学校で使う教科書にも掲載されました(10年ほど前のものだそう)。

昭和・平成・令和…時代を超えて、浦安の子どもたちを見守ってきた『重兵衛商店』

5年ほど前に体調を崩し、お店を閉めようと思っていたという内田さん。「でも子どもたちから『おばちゃんやめないで』『続けてほしい』とたくさん声をいただいて…。結局半年くらい休んだかしら。みんなから元気をもらって、今も続けることができています。80歳まで頑張ろう、と思っていたんだけど、もう今年で80になっちゃうの」。あと何年やれるか…と言いながらも、「80になったら81まで頑張ろう、って。目標は小さく、1年ずつにします」と、いたずらっぽい笑顔を見せてくれました。

取材の終わりに、私も懐かしの駄菓子を購入♪ いろんな種類をがさっと大人買いしたのですが、内田さん、全ての駄菓子の値段が全部頭の中に入っているんですよ! すごい…。「最近では2円とか5円とか、ちょっとずつ駄菓子の値段も上がってきていて。覚え直すのが大変」と言いながら、お釣りの計算もあっという間! 半世紀もの間、駄菓子屋さんを切り盛りされてきたご経験は伊達じゃありませんね!

店主の内田朋子さん。朗らかで優しく、背筋がしゃんと伸びて朗らかで、お話すると元気をもらえます。お忙しい中、ありがとうございました!

重兵衛さんでは、定休日を設けていません。「子どもたちが来て開いていないと悪いから」と、10時から17時まで毎日内田さんがお店に立ちます。通院や、内田さんが習っている三味線の大会があるときなどは、臨時休業になる不定休スタイル。ドラマやバラエティの撮影にも数多く登場している重兵衛さん、今月もいくつか撮影が控えているんですって…! テレビの中へ登場するのも楽しみです♪

子どもも大人も夢中になれる、駄菓子屋さん『重兵衛商店』。ここは子どもの社交場であり、大人が子どもに戻れる場であり、古き良き時代へタイムスリップさせてくれる貴重な場です。昭和から平成、そして令和と、時代を超えて浦安の子どもたちを見守ってきたカラフルで懐かしい駄菓子の世界。ぜひ一度、足を運んでみませんか?

重兵衛商店…浦安市堀江3-13-1 047-351-1041 
不定休、10時~17時

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