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【連載】浦安の不動産市場って バブルなの?!今、買った方がいい? 買わない方がいい?

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不動産バブル

【連載①】バブルが起きた理由と、崩壊した理由。
その時、浦安はどうだった?

日本でバブル経済が発生した経緯。

◆きっかけは…
1985年 プラザ合意による円高の進行
過度なドル高に頭を悩ませていたアメリカが、ニューヨークのプラザホテルに先進国5カ国の大蔵大臣(米国は財務大臣)と中央銀行総裁を招集。会議が開催され、ドル安に向けた各国の協調行動への合意が発表さました。

◆これにより
1ドル=240円前後の円ドル取引きが…⇒1ドル=150円まで高騰!

⇒結果
輸出産業への大打撃
日本の輸出産業の国際的な競争力が低下。1987年10月には米国株式の大暴落(ブラックマンデー)発生し、国際経済の大混乱が発生。

◆これを受け、日本政府は…
経済刺激策としての金利引き下げを行った
輸出産業の競争力低下とデフレーションのリスクに対応するため、日本銀行は経済を刺激する手段として金融緩和を進めました。

【金利の変動推移】1985年末5%⇒1986年末2.5%⇒1987年2%

⇒結果
輸出主導から内需主導へ
企業や個人が安く資金を調達できるようになり不動産や株式市場にお金が流れ込みました。円高によって海外資産の価値が急増するなどもあってより投資熱が高まり、日本国内にお金が溢れる状態に!

⇒バブル経済のはじまり!
     ↓

❷不動産バブルも始まる!

居住用財産への買換えに優遇措置。
都心の高額不動産の売却が生み出したキャピタルゲインに対する課税を回避するため、需給バランス、価格水準を超えて用地探しが行われました。結果、地価高騰の波が都心から地方に伝播。優遇措置の適用が期限付きであったことが拍車をかけました。

都心中心区の都市開発でオフィス価格が高騰!
大手町や神田周辺でオフィス街への用地転用が行われ、局地的な地価上昇が発生。また都心中心地区にあった大学を地方に移転する政策が進められ、結果、新規オフィス供給が続き地価高騰対象地区を拡大させることに。

都心の住環境悪化も後押しに。
バブル期に一気に開発が進んだ都心中央部の住環境は急激に悪化…。環境の良い住宅を求めて、郊外へ移住する人が増加!

◆さらに…!
日本政府の政策が住宅価格を押し上げた!

≪施策1≫住宅ローン減税の拡充
サラリーマンなどの中間所得者層が住宅ローンの返済負担を軽減できるよう、所得税の控除制度が拡充されました。

≪施策2≫公団住宅の供給拡大
住宅公団(現・都市再生機構)を通じて公営住宅の供給拡大を進め、多くの家庭が新しい住まいに移り住むことが可能に。

≪施策3≫低金利の住宅ローン
政府系金融機関を通じて、低金利の住宅ローンを提供。多くのサラリーマンが新居の購入を検討できるようになりました。

≪施策4≫土地の供給拡大
土地の供給を拡大するための都市計画の見直しや、国有地の有効活用などを促進。

     ↓

❸そんなバブル経済は長く続かず1991年バブル経済は崩壊!

不動産バブルも崩壊

≪理由 その1≫検証対象の誤り
政府がより重要視していたのは地価ではなく物価指数でした。結果1989年には都心の地価狂乱状態は収まっていたのにも関わらず地価高騰の引き締め策を全国的に行い、急激な価格下落を招いた。

≪理由 その2≫土地税制の見直し
投機目的の不動産取得を抑制するための超短期譲渡税重課税制度や、負債利子の損金不算入など、税制の見直しが行われました。

≪理由 その3≫公定歩合の引上げ
1989年5月3.25%から3.75%へ、同年8月には4.25%へと引き上げ、1990年に入るとさらに引き上げられ、7月には6.0%に到達!

≪理由 その4≫金融機関への融資抑制
金融庁や日本銀行は、土地や不動産関連の融資を抑制するよう金融機関に指導を行い、不動産バブルを助長する要因となっていた金融機関の融資姿勢を抑えさせる。

⇒不動産価格は1/3まで下がりました

❹考察

◆バブル期の不動産変動を見ると…
不動産価格は 政府の政策に左右されるところが大きい。

◆今の不動産市場と当時を比べると…
政府政策の違い、都内不動産価格上昇の背景の違い、世界的なインフレと、バブル当時と今では異なる部分が多い。

次号「バブル当時と今の違い」を比較考察していきます!
明和地所のセミナーではこの考察をわかりやすい説明でお届けしています!ご興味のある方は是非ご参加ください。

〔お話をお伺いしたのは〕

今泉向爾

(株)明和地所代表取締役社長
今泉向爾さん
浦安で45年続く不動産会社の三代目社長。今まで携わった不動産取引件数500 件超。自身の経験と知識を地域に還元したいと情報発信を行っている。


【実録】その時、浦安では?

バブルの時、浦安では何が起こっていたのか。バブル期からバブル崩壊を乗り切った、明和地所初代社長(現会長)の今泉浩一さんにお話を伺いました。

バブル期、都内から郊外に居住地目的で不動産を購入する場合は税金を取らないという政策がとられ、郊外は買い換えをするお客さんで溢れました。浦安も東京の隣ですから、お客さんはいっぱいいました。自宅を購入する人よりも、都内からの替えの工場用地や収益物件を購入する人が多かったですね。人気のでた浦安の不動産は10倍20倍に跳ね上がったんです。
私はその頃、不動産屋として独立していたので「ワンルームの賃貸ビルを建てて、入居者を満室の状態にし、東京から収益物件を買いに来る人に売る」仕事を始めました。以前から親しかった不動産会社の社長さんと共同で20~30くらい建てたと思います。当時、約1億円で建てた収益物件(入居者は満室の状態)が利回り3%、約2億1000万円で売れたんです。すごい時代でしょう? こんな時代が5年ほど続いたので、儲かって仕方がないバブルに乗った時代でした。
ですが1990年、上記記事のような不動産バブル潰しの政策がなされ、浦安の不動産価格は1/3まで下がってしまいました。もちろん私が行っていたワンルーム建築販売事業の価格も1/3に暴落したので、もろもろ20億円近くの借金を抱えることになったのです。浦安市内には同じような販売をしていた業者がいくつもありましたが、5社ほど倒産していましたね…。なので「明和地所も危ないぞ」と言われていましたが、私は何とかなる!と思っていました。なぜなら、販売する時に「入居者を満室にし利回り7%の状態で販売」していたからです。買主様は不動産価格は下がっても、手取りの賃料と利回りは変化なく安心して持ち続けられ、会社としては今後の管理運営の契約も結んでいたので、管理料も入ってきました。
それから、会社は社員が増え事業も広がり、2017年、当時の借金を完全返済することが出来ました。

今泉浩一

(株)明和地所 会長 
今泉浩一さん
明和地所の創業者であり、現会長。浦安不動産の生き字引として開催しているセミナーは17年以上。


※本稿の内容はあくまで個人的な経験則に基づく見解であり、特定の投資対象に対する将来の投資成果を保証・示唆するものではありません。情報の正確性については万全を期しておりますが、その内容について保証するものではありません。記載内容は作成時点のものですので、予告なく変更する場合があります。また、本稿の情報の使用に起因する結果について、当方は一切の責任を負いません。 〈参考文献〉明海大学不動産学部教授 周藤利一氏 「地価バブル期の不動産政策」

※この内容は、フリーペーパー「浦安に住みたい!」2023年9-10月号に掲載された内容です。
※フリーペーパーに掲載されている日程が変更になる場合があります。最新情報はそれぞれの店舗・主催者にご確認ください。

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