浦安ってこんな街!
10.262021
道路から見る浦安市の埋め立ての証
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千葉県の西に位置する浦安市は、世界有数のディズニーランドが存在することで非常に有名です。東京湾の湾奥・旧江戸川と接しており、東京へのアクセスは容易です。新浦安駅から京葉線を使い約20分で東京駅に着くことができます。そんな浦安市は、他の地域とは少し違う異色の歴史を歩んできました。その代表格と言えるものが“埋め立て”です。浦安市民なら誰しも一回は聞いたことあるのではないでしょうか?
しかし「浦安市=埋め立て地」のイメージが強い私たちですが、実は浦安市はすべてが埋め立て地、すなわちすべてが人工の土地ではありません。旧江戸川の河口部デルタ地帯付近のもとから存在した「元町」があり、当代島・猫実・堀江・北栄・富士見地区が浦安の元々あった土地にあたります。漁業で繁栄したことを通じて、第一期埋立事業が昭和39年(1964年)から昭和52年にかけて行われました。これにより東京湾外側へ浦安市の面積が伸び、「中町」が完成しました。東野・海楽・富岡・美浜・弁天・舞浜・入船・今川・見明川地区と鉄鋼通りの誕生です。その後、第一期埋立事業と少し時期が重なる形で第二期埋立事業が昭和47年から55年にかけて行われました。「新町」と呼ばれる比較的新しい日の出・明海・高洲・千鳥地区の誕生です。結果として浦安市は埋め立て事業により元の4倍の面積を保有することとなったのです。
そして、この埋立事業が行われた形跡を我々が垣間見ることができる場所が存在します。その一つが「段差道路」です。
上の写真を見るとその全貌がわかります。2つの道路が違う高さで接しているのです。こういった道路は日本各地を見てもあまり見ることができないのではないでしょうか? なぜこのように違う高さで接しているのでしょうか? これは元町側、つまり写真の右側の方から埋立事業を着工するに伴い、以前堤防だった部分を利用する形で中町の道路を新設したからです。つまりこの段差道路は第一期埋立事業の証となっているのです。ちなみにこの写真の場所は堀江地区と東野地区の間の市役所通りになります。
このように、普段何気なく通る場所がその地の歴史を語る上で重要な証であることも、しばしばありそうですね。
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