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浦安に住みたい!web【先行】軍艦島上陸レポート

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ゴールデンウィーク、「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録勧告が話題となりました。

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浦安に住みたい5・6月号にて「リノベーション」の話題をお送りしていますが、「そもそもマンションって築後何年くらいまで大丈夫なのか・・、崩れてしまわないのか」よくある疑問に対するヒントとなるものはないか。取材班により3月より資料収集し、築99年経っていてしかも41年間も無人になっている島がある・・と4月23日に長崎市端島(軍艦島)上陸を試みました。案内をしていただいたガイドの方も「GW以降はイコモスからの回答があるでしょうから、お客様が多く見えることになるのでは。」とおっしゃっており、待望の知らせだったことと思います。

なぜ100年前、軍艦島に鉄筋コンクリート造のアパートが建ったのか

この島に建築された71棟の建物のうち、30号棟は1916(大正5)年に日本で初めての高層鉄筋コンクリート(RC)造アパートとして建築されました。この約100年前(1810年)に端島で石炭が発見され、その後の産業革命期に向かう中で石炭採掘をするために社宅として建てられた建物群が「軍艦」のように見えたことから軍艦島と呼ばれるようになりました。島の広さは南北に480m、東西に160m、面積63,000㎡(0.063k㎡)のなかに最大で約5300人が生活し当時の東京の人口密度の9倍の人口を許容する住まいが必要であったため、次々と高層化し建築されました。

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軍艦のような島の姿

建物が海からの塩害にさらされる自然条件

1960年代、石炭から石油へエネルギー源の転換により石炭の需要が減ったことから、1974年1月、炭鉱が閉山されることになります。同年4月20日には無人島に。その後立入りができない期間を経て2001年からは長崎市(当時:高島町)が島を管理、当時は関係者以外の上陸は許可されませんでした。2009年から観光客がへの上陸が許可されていますが、年齢の制限(保護者の承諾書が必要)や、荒天時には立入ることができないなどの制限があります。立入り制限の理由は、非常に危険であることと保存のためです。1974年の炭鉱閉山から41年間、雨風だけでなく島全体を飲み込むほどの波(高さ45m以上)と台風に何度もさらされながら、手つかずのまま、朽ち果てて行く運命にあった状態であり、部分的に崩落してしまった箇所もあります。その波を防ぐために島の周囲はコンクリートの護岸がぐるっと1,200m囲んでおり、何度も崩壊しているという非常に強い外圧のある自然条件下にあります。コンクリートと鉄筋の劣化は「塩害」による影響を受けると非常に早く進んでしまいます。

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建物も見えないほどの護岸が

築100年になろうとしている建物の気になる状態は。

毎日見ているガイドさんのお話では「昨日あったバルコニーの手すりが翌日無くなっている」ということもあるそうです。島の歴史を知れば知るほどそれでも建ち続けているその姿にこの島の栄枯盛衰が感じられ魅了されるのだと感じました。室内に立ち入ることはできないわけですが、資料によると当時住んでいた方の家具や飲料の瓶、生活の痕跡が残っていると言います。もし自宅のマンションが40年以上放置されたらどうなるのか・・悲惨なイメージを持たれると思うのですが、軍艦島は厳しい自然の条件下である種の潔い状態になっているのです。

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30号棟は1916年築(2015年で築99年)

今回のレポートでは軍艦島の背景を主にお話ししてきましたが、この度の取材を通して読者の皆様に「建物の寿命」について考えていただける記事を提供させていただければと思っております。建築材料の特性、維持管理、地震との関係について追記してまいります。ご興味持っていただけましたら、浦安に住みたい!webのフェイスブックページのいいね!を押していただければと思います。(↓こちらよりお願いいたします)

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