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浦安ってこんな街!

~浦安の街から世界へ~世界の舞台で活躍する、浦安発のフリースタイルスクーター 本瀬湧麻選手を応援しよう!

「キックボード」と聞くと、公園や歩道で子どもたちが楽しそうに走る姿を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。最近でもよく見かける、あの馴染みのある乗り物。 でも実は今、そんなキックボードが【フリースタイルスクーター】という名前で、世界中で注目される“競技”になっているんです。

特にオーストラリアやヨーロッパでは、スケートパークが生活の一部として根づいており、子どもから大人まで日常的にフリースタイルスクーターを楽しんでいるそう。近年はアメリカや南米でも人気が高まり、世界大会も盛んに開催されるなど、国際的な広がりを見せている注目の競技となっているんですって!

一方、日本ではまだあまり馴染みがありませんが、近年は、スケートボードやBMXといった“ストリート発”のスポーツがオリンピックでも注目されるなど、フリースタイルスクーターもまた、新たなカルチャーとしてじわじわと注目されはじめていますよね。

そんな中、なんとなんとその舞台に、私たちの地元・浦安から飛び込んだ若者がいるんです!

今年3月に行われた全日本選手権では、見事【3位入賞】。さらに、日本代表として世界大会への切符まで手にしたのだとか!

たったひとりで始めた挑戦が、やがて世界へとつながっていく——そんな彼の姿を、今回取材してきました。

「誰もやっていないからこそ、自分が始めた」

新浦安在住で、現在は都内の大学に通いながらフリースタイルスクーター選手として日々練習に励む本瀬湧麻さん。中学生だったある日、何気なく見ていたYouTubeの“おすすめ”に流れてきた一本の動画が「フリースタイルスクーター」との出会いだったそうです。

そこには、キックボードに乗った海外の若者が、信じられないようなアクロバティックな技を次々と決めている姿が映っていて-。

「なにこれ、めちゃくちゃかっこいい!」
「スケートボードのように滑り、BMXのように飛び回る…そんな自由な乗り物がこの世にあるなんて、知らなかった-」

衝撃を受け、すぐさまネットで“競技用のキックボード”を検索。おもちゃとは違う、スポーツとしてのキックボードがあることを知ります。迷う間もなく注文したのは、日本のフリースタイルスクーターの第一人者が運営する専門ショップ。しかもそのショップは、偶然にも、本瀬さんのおばあ様が住む愛知県のご自宅の近くにあったんです!

「知ってしまったからには、行くしかないと思って(笑)」

なんと購入からわずか2週間後、自ら電話をかけ、実際に現地のショップを訪問。第一人者に「会いに来ました!」と伝え、目の前で本物の技を見せてもらったそう。

「もう、衝撃でした。こんなことができるのかって…自分もやってみたいって気持ちが一気に爆発しました」

その日から、人生が変わり始めます-。

地元・新浦安で“ひとりきり”の挑戦が始まった

スケートボードやBMXをやる仲間はいても、フリースタイルスクーターをやっている人は、周りには誰もいませんでした。

「たぶん市内で僕だけだったと思います」

誰もいないなら、自分がやればいい。参考にできる人も、教えてくれる人もいない中で、ひとり公園に通い、動画を繰り返し見ては独学で技を磨く日々。

撮影も、本瀬さんはカメラに収まる一瞬を逃さないよう、ジャンプの角度やタイミングを丁寧に調整しながら何度も挑戦を続けてくれました。笑顔で「もう一回、やりますか?」と応えてくれる姿からは、競技への情熱と純粋な想いがにじみ出ていて、一人の人間としてもファンになってしまいました!

「技って、ほとんど失敗の繰り返しなんです。うまくいかないことが普通。でも、できたときの嬉しさは、もうたまらないんです」

恐怖と闘いながら、それでも「楽しいからやめられない」。地道な挑戦の積み重ねが、やがて大きな舞台への一歩につながっていきます。

海を越えて、誰も知らない国へ。フィジーで「ゼロから」広めたスクーター文化

高校は、南太平洋の島国・フィジーへ留学。「海外の空気に触れてみたい」という想いから選んだ進学先でしたが、スクーターを持ち込んでみて、すぐにある現実に直面したそうです。

「道路は舗装されていない場所も多くて、スケートパークなんてひとつもない。スクーターどころか、スケボーすら知らない子も多かったんです」

思うように練習できない日々。モチベーションも下がり、心が折れかけたことも。でもそんなとき、ふとあの日本の第一人者の姿が頭に浮かびました。

「誰もやっていないなら、自分が広めてみよう」

そう決意し、ひとりで街に繰り出し、現地の高校の友人たちに技を見せてまわりました。通りすがりの人たちが「なにそれ?」と声をかけてくる。少しずつ、興味を持つ仲間が増えていく。

最終的には、10人ほどの小さなスクーターコミュニティが生まれ、卒業時には、知らない子どもに「あなたのこと知ってる!サインください!」と声をかけられるまでに。

「人生で初めてサインを書いたのが、フィジーの空港でした(笑)」

あのとき感じたのは、技がすごいとかじゃなく、「続けてきたこと」への誇りだったといいます。

日本代表として、世界の舞台へ

帰国後は大学に進学しながら、再び本格的に練習を再開。この春、神戸で行われた全日本選手権大会では見事3位入賞という快挙を成し遂げ、さらに日本代表として世界大会への出場も決定!

「日本ではまだまだ知名度が低い競技だけど、僕が結果を出すことで広めていけたら」

SNSで動画を発信したり、遠征先で他の選手と交流したり、本瀬さんは“選手”としてだけでなく“伝える人”としての役割も担いはじめています。

普段は、新浦安の公園やスケートパークでひとり練習する日々。動画で見せる華やかな技の裏には、毎回恐怖と戦いながら何度も失敗を繰り返す姿があります。

「技って、ひとつ成功するまでに何十回、何百回も失敗するんです。背中から落ちたり、手をついたり、ちょっとしたケガも日常茶飯事です」

それでも、「楽しいから、続けられる」と語る表情には、ひとつも迷いが見られませんでした。

夢は、浦安にもっとスクーターが根づく未来

そして、子どもたちにも“夢中になれる場所”を-。

今、本瀬さんが見つめているのは、自分自身の成長だけではありません。

「僕みたいに、スクーターを“かっこいい!”と思ってくれる子が増えたら嬉しいです。そのためには、まずは滑れる場所が必要。スケートパークの整備や理解がもっと広がっていってほしい」

そんな思いから、5月23日には浦安市長へ表敬訪問。競技の楽しさや可能性を地元に伝えることで、「浦安から世界へ」の流れを未来につなげたいと考えているそうです。

また、「フィジーでの経験が、今の自分の原点なんです」と本瀬選手。「何もないところに、“夢中になれる場所”があるだけで、人ってすごく変われる。今後は、発展途上国にスケートパークを建設し、子どもたちに夢と希望を届ける活動にも取り組んで行きたい」と話します。

若干20歳とは思えないほど「行動力」「表現力」「継続力」「発信力」を備え、語る言葉には芯があり、取材中もその落ち着いた姿勢に何度も驚かされました。世界大会に出るだけでなく、フィジーで文化を広めた経験を“誇り”として語れる人なんて、なかなかいません!

浦安から世界へ——そして、世界の子どもたちの未来へ。本瀬さんの“旅”は、まだ始まったばかり。編集室でも、本瀬さんのこれからの挑戦応援しています!

フリースタイルスクーター
本瀬湧麻選手
Instagram @yuma_vids
no+e https://note.com/aquamarine_3

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