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【浦安クイズ】第16問:猫実4丁目にあるこの石碑は何でしょう?

おはようございます! 今週も浦安クイズの時間がやってまいりました。通勤・通学の合間にチョイネタを仕込んで、もっと浦安に詳しくなろう!

猫実4丁目、中央公民館の敷地の向かいに立っている写真の石碑。明治39年に完成したものなのですが、一体何のために建てられたのでしょうか?

1.偉人を称えるため
2.先祖を祀るため
3.豊穣を願うため
4.武勲を伝えるため

アップで見てみると、こんな感じ…↓
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チッチッチッチッ…

 

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正解は!
4.武勲を伝えるため でした!

説明版には『明治三七・八年戦役記念碑』とあります。

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 明治三十七年(一九〇四)、三十八年の戦争とは、日本とロシアで争った「日露戦争」のことです。

 浦安では、この戦争の勝利を記念するとともに、出生軍人の武勲を後世に伝えるため、記念碑を建立しようという動きが起こりました。さっそく田中徳次郎村長は村会を開催し協議したところ、浦安村尋常小学校東南隅に記念碑を建立することになりました。
 石碑表面の題字は、日露戦争第三軍司令官乃木希典将軍に依頼することとなりました。そこで、村会議員内藤栄太郎、大木格蔵、内田富次郎は執筆を依頼するため、東京市赤坂の乃木邸を訪れました。将軍は快く承諾し、執筆の日を約束しました。後日、三名は乃木邸を訪れ、白紙の中央に「明治三七、八年戦役記念碑」、左下に「希典書」と書いていただき、浦安に戻りました。後日お礼に浦安名産のハマグリを持っていったところ、「国家のために尽力した人達に報いるために執筆したのだから、受け取るわけにはいかない。このまま持ち帰りなさい。」と一喝されたといわれています。
 石碑は大きな仙台石を切り出したもので、裏面の文字は南行徳村の小川潤敬氏によって、上部に「義勇奉公」、その下に戦病死者と出征軍人の氏名、「明治三九年四月浦安村有志者建之」と彫られ、明治三十九年に完成しました。
 その後、石碑は昭和四十二年、浦安小学校解体に伴い中央公民館敷地内に、さらに昭和六十年、現在地に移築されました。

ここに何かが立っているのは知っていましたが…日露戦争のころの石碑が浦安に残っているとは、驚きました。

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