市民による浦安の地域情報総合サイト

浦安ってこんな街!

【浦安市花火大会】浦安の花火大会を作り上げる花火師さんは、女性だった!

【浦安市花火大会】7月30日開催!今年で38回目を迎えます。 の続きです。

宗家花火鍵屋15代目 天野 安喜子さん

DSC_5377

天野さん「記憶があるのは小学2年生の時で、この頃から『父の後を継ぎたい』と思っていました。とにかく当時から、父が格好良く見えていたんです! 花火の現場を仕切る姿、柔道場で館長を務める姿・・・父の背中に憧れて、私も父のようになりたい!とずっと思っていました。」
三姉妹の次女として生まれた天野さん。花火師を目指したきっかけをお伺いすると『花火師を目指す、というより父を目指していた』そうで、
天野さん「自慢の父でした。人に憧れてこの道に進もうと思ったので、迷いは無かったです。父の存在は、幼い頃からとても大きかったですね。

人に慣れてしまう前・・・修行は2年と決めていた。

DSC_5381
花火の内部を表した模型。

天野さん「鍵屋の仕事はプロデュースがメインですが、実際の花火製造現場を知らないと何も出来ない! と思い、修行に出ることにしました。」
父を説得し、23歳のとき山梨県の花火工場へ一人修行に向かったそうです。
天野さん「甘えたくなかった。だからあえて鍵屋と関連のない会社を選びました。そして修行期間は2年と決めていたんです。1年間だとその場の雰囲気に慣れるだけ、3年目以降になると人にも慣れてしまい緊張感が薄れてしまうから。」
男社会に飛び込むだけでも大変な花火の世界で、あえて厳しい環境を選んだ天野さん。そのストイックさと当時の信念を感じました。

男社会に飛び込む厳しさ。

天野さん「とは言え、やっぱり厳しいこともありました。『人間関係の壁』ってなかなか簡単には崩せないですよね。すぐに教えてもらうことは出来ませんでした。落ち込むこともあったのですが、『教えてもらえないなら技術を目で見て盗めば良い!』そうふっきれてからは、一心に技術取得に力を注ぎました。その姿勢を当時の工場長に認められ、一年後に指導を得ることができたんです。」
厳しい環境の中で『貪欲な姿勢』を見出した天野さん。みるみる成長をし、修行先の社長に「普通なら10年で覚えることを、2年で習得した。」と賞賛されるほどに!
天野さん「この言葉は本当に嬉しかった!今でもこの言葉に励まされています。」

人との信頼関係が一番大切だということ。

DSC_5394

修行を終え鍵屋に戻ってきた天野さんは2000年、29 歳のときに宗家花火鍵屋女性初の15代目を襲名します。
天野さん「襲名することへのプレッシャーは無かったです。『花火師の仕事を続けられれば良い。これから頑張らなきゃ!』と思っていただけで。15代目としての重圧は襲名1年後くらいから感じ始めましたね。」

修行先の工場でもそうであったように、花火の現場はまだまだ男社会。襲名以前には「鍵屋なのにこんなことも知らないのか!」と、職人さんからの厳しい言葉もあったとか。60名以上の職人を束ね上げる立場として、とにかく頑張ろうという気持ちでいっぱいだったそうです。
天野さん「『人前で泣くな』は幼い頃からの両親の教え。それもあってか『人に甘えることは恥ずかしいことだ』って思っていて、20kg以上ある多量の荷物だって運んでいました。周りから『僕がやりますよ。』と声を掛けられても・・・。今思えば、『自分を認めてほしい』との思いだけで仕事をしていましたね。」 

そんな時、天野さんは初めて現場でトラブルに直面します。
天野さん「この時、私の指示にたくさんの職人さん、スタッフの方が理解し協力してくれて、無事に対処ができました。そして安堵と共に気が付いたんです。私は『自分の存在を認めてもらいたい』との思いが強く、知らず知らずのうちに周りの職人と競争していたことに。でも、それじゃ協力体制は生まれない。何でもそうですが、一人で全部やるなんて無理なんですよね。『適材適所』。互いが認め合うことから信頼関係は生まれ、互いに支えあっているんだって言うことを。花火の現場で信頼関係って本当に大切でね、事故件数とも深く関わってくるんです。信頼関係がしっかり築けている現場は、ほとんど事故がないんです。この時の教訓を活かし、今は『信頼関係』を大切にしています。」

今ではしっかりと築き上げられた職人さん、スタッフさんとの信頼関係。「15代目の出す指示は信頼しているから、GO!って言われたら動くよ!」と、職人さんから声を掛けられることもあるそうです。

 

この記事が気に入ったら
いいね!しよう

最新情報をお届けします

Twitterでフォローして最新情報を入手しよう

ページ上部へ戻る