浦安ってこんな街!
10.202020
【稲荷神社】ひとり浦安三社祭り。秋の浦安の氏神様を巡る。③
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2020年6月に予定されていた浦安三社祭りが来年度に延期になりました。そこでワイワイ御神輿と自治会や子供会の地域の皆さまとまわるはずだった浦安三社を、ひとりで巡ってみました。今回は三社めの最終回です。
えっ!参道に住宅街?幼稚園?街に溶け込む地域の神社
稲荷神社は東京ベイ医療センターの近く、当代島でも市川市との市境にあります。稲荷神社という名前の神社は全国各地にあるようなので、『当代島稲荷神社』として呼称するようです。調べていて面白かったのですが、そもそも当代島の地名の由来は、『開墾された島』という意味があるそうです。鎌倉時代に田中十兵衛という人物が開墾し、人々が次第に住むようになりました。村民はこの土地を当代(当時から見て現代という意味)に開墾された島であるという意味で、「当代島」と称したと云う。つまり、今の浦安でいう『新町』の立ち位置なのですね!
(参照:浦安市役所公式サイト http://www.city.urayasu.lg.jp/shisei/profile/profile/1000021.html)
そんな当代島地域の氏神である当代島稲荷神社。参道のスタートは車が通る道。鳥居をくぐると一般住宅が続いているのです!(さすがに写真は憚られ、住居は見えないように撮影しました。)20数メートルほどはあるでしょうか。
よくある住宅街のような参道を抜けると神社らしい場所が唐突に現れます。
当代島稲荷神社は豊受大神(とようけおおかみ)、應神天皇(おうじんてんのう)、春日大神(かすがのおおかみ)を祀っています。しかし、浦安三社の豊受神社・清瀧神社他のように創建が定かではないそうです。先ほど、当代島という地名の由来で鎌倉時代に開墾されたと記述しましたが、江戸時代になると当代島村が成立します。当時は神社としてではなく、村長であった高梨氏の屋敷神である稲荷様を当代島の氏神にしていたと云われています。そして明治になり神仏分離。明治四年(1871)、社殿を改築し、明治五年(1872)、正式に当代島の鎮守とされ、無格社となったそうです。
※無各社とは…
社格と呼ばれる神社の階級のようなもののひとつです。社格の中で一番低い階級にあたり「格が無い」わけではありません。稲荷神社はもともとお屋敷の稲荷様なので、むしろ神社に昇格しているといえます。そして当代島稲荷神社は古くから疱瘡(ほうそう)に霊験があるといわれています。疱瘡(ほうそう)が流行った時代、境内の小石を持ち帰るものも多くいたということです。伝染病である疱瘡にご利益がある…なんだかコロナ禍の現代に重ねてしまいますね。
鳥居をくぐると右手に手水舎があります。豊受神社・清瀧神社と同様、手杓はありません。
手水舎には有難いお言葉と厄年の早見表。こういうのあると自分が該当するかついつい探してしまいます。
社殿の装飾等はごくシンプルなものです。戦後の昭和三十四年(1959)に旧社殿の再建がされましたが、周辺環境の著しい変化から、地盤沈下が起こり、拝殿の腐食や樹木の根腐りなどが発生したそうです。著しい変化…まさに開発が進み埋め立てが急ピッチで進められたのでしょう。
当代島稲荷神社も鈴緒は触れなく、鈴は鳴らせなくなっていました。
当代島稲荷神社に伝わる『大鯨の石碑』
公式サイトには、面白い逸話がありました。
河口から海へしばらく向かうと三枚洲(葛西沖)という好漁場があり、漁をしようといつものように日の出前に当代島の高梨源八、西脇清吉の両氏は船に立って漁場の三枚洲に近づいていくと、洲の上に大きな黒い大きな魚が暴れているのを見つけて近寄っていくと、うわさが絶えなかった大鯨が浅瀬の汐溜まりに取り残されている。
そこで両氏は驚きと興奮で体が硬直したものの気を取り直し、大格斗の末に大鯨を捕ることに成功し、意気揚々と当代島へと戻った。
両氏が帰還すると村中が知らせを聞いて大騒ぎとなり、老若男女がこぞって見物に来たそうです。
この大鯨は当時の価格で金弐百円もの高値で売れ、大金を手にした両氏はすっかり有名人になり、どこへ行っても英雄扱いされたそうです。両氏は大鯨捕獲劇のことで仕事も手につかなくなり、このことに終止符を打つために考えた末に年配者の知恵から稲荷神社に大鯨の碑を奉納し、祀ったとのことです。これが大鯨の碑建立の経緯であります。
(稲荷神社 公式サイト 参照:http://urayasu-inarijinjya.com/inari.php)
つまり、要約すると、当代島の住民であった高梨源八と西脇清吉の2人が、浦安の海で鯨をとり、意気揚々と当代島へと戻りました。村に帰ると村中が大騒ぎとなり、村人がこぞって見学に集まりました。大鯨は当時の価格で金弐百円もの高値で売れ、大金を手にした2人は有名人になりました。しかし、有名になりすぎて仕事も手につかなくなり、それを見かねた年配者に『大鯨の碑』を奉納して祀り、記録して称え、この騒動を終わらせた、ということです。
普段は貝や魚を採っていた村の漁師が鯨を採ってきたとあれば、村人はさぞビックリしたのでしょうね。現代でいう宝くじが高額当選したとかでしょうか。(違うか)
10月に入ったばかりのこの日、まだ境内のいちょうの木は青々としていました。
今回のひとり三社祭りで今まで知らなかった浦安三社について調べるきっかけになりました。小学生は浦安について授業で調べる授業がありますが、大人になるとなかなか機会がないですよね。すっかり秋らしく、過ごしやすくなった10月。コロナ収束を祈りに神社に参拝するのもいいかもしれません。
稲荷神社…浦安市当代島3-11-1 047-352-2883
受付時間:午前9時~夕方4時30分
http://urayasu-inarijinjya.com/
※神社の都合により不定期にて閉めることがあるようです。参拝の際はご注意ください。
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