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【浦安クイズ】第20問:現在の猫実1丁目、市役所付近には昔何があったでしょうか?

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おはようございます! 今週も浦安クイズの時間がやってまいりました。通勤・通学の合間にチョイネタを仕込んで、もっと浦安に詳しくなろう!

現在の猫実1丁目の市役所や図書館など公の施設が集まるエリアには、大正~昭和中期にかけて何があったでしょうか?

1.大型船の停泊地
2.金魚の養殖場
3.塩田
4.葦畑

 

ちなみに、埋立が始まったのは昭和40年ですから、すぐ南側は海だったところですね。

チッチッチッチッ…

 

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正解は!
2.金魚の養殖場 でした!

文化会館と博物館の間の交差点のところに、説明板があります。読んでいくと…
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 このあたりは、かつて地域の人々から「秋山の金魚池」と呼ばれていた金魚の養殖場があったところです。39600平方メートル(12000坪)にも及ぶ大変大きな池でした。
 この池は、はじめは鰻や鯉の養殖場として使われていました。大正11年、東京都砂町(現在の江東区)で金魚の養殖業を営んでいた秋山吉五郎が買取り、ここで金魚の養殖を始めました。毎年、数十万匹もの金魚がここから全国へと出荷され、「関東一の金魚の養殖場」といわれていました。
 秋山は、金魚の新種開発に大変貢献した人物として知られています。明治中頃まで、金魚は、和金・流金・蘭鋳・和蘭獅子頭・出目金という五種類しか存在していませんが、秋山の精力的な研究により、「秋錦」「朱文金」「キャリコ」「金欄子」などの新しい金魚が誕生しました。なかでも「秋錦」は、背びれのない丸い体と長い尾をもつ姿が、「水清き秋の池に紅葉をちらしたような美しさ」であるところからこのように名づけられ、たいへん評判を呼びました。
 しかし、昭和40年から始まった海面埋立事業で、周辺の都市化が進み、昭和58年には、この池も埋立てられました。
 現在は、市の公共施設が立ち並んでいます。 浦安市教育委員会

海のこんなに近くで、淡水魚の金魚が養殖されていたとは、なんだか意外。しかも昭和58年に埋立てられたということは、30年ちょっと前まではここに池があったということですよね…。浦安にはまだまだ知らない歴史がたくさんありそうです。

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