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【浦安クイズ】第2問:境川の川幅の狭いあたりを「おっぱらみ」と呼ぶ、その語源は?

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おはようございます! 通勤・通学の合間にチョイネタを仕込んで浦安に詳しくなれる「浦安クイズ」。第二問は、浦安を貫く境川についてです。

Q.上の写真のあたり・境橋附近は、境川のなかで最も川幅が狭いところで、かつて「おっぱらみ」と呼ばれていました。さてその「おっぱらみ」の語源は何でしょう?

1.「大原見」…大海原が見える場所だったため。
2.「おもしろみ」…風情のある場所で、古くから歌などにも詠まれていたため。
3.「追い払い」…他地域の漁師を追い払う場所だったため。
4.「おっ広げ」…そこから川が広がっていったため。

 

チッチッチッチッ…

 

 

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正解は!
3.「追い払い」 でした!

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境川沿いに説明版があります。下記のように記載されています。

 「おっぱらみ」という地名が生まれたのは江戸時代で、隣の行徳地域が徳川幕府に保護された塩の生産地だったころのことです。
 塩作りは、五月から九月にかけて行われます。しかし、入梅時期で雨量が多くなると、江戸川が増水し、淡水が境川を経て海に流れ込むため、行徳地先の海水は塩分が薄くなり、良い塩ができなくなりました。そこで、行徳で塩をつくる人たちは、毎年梅雨どきには、川幅が最も狭いこのあたりを土砂や板を使ってふさいでしまうことを恒例としていました。
 しかし、堀江・猫実の漁師たちは、海への玄関口である境川が通れなくなってしまうので、漁にでることができず大変困っていました。ある年、漁師たちは相談して、このあたりの土砂や板を強引に取り去ってしまいました。これを知った行徳の人たちが大勢押しかけて、再びふさいでしまおうとしたのですが、浦安の漁師たちは、団結してこれを追い払いました。それ以来、行徳の人たちもあきらめたのか、ここがふさがれることはなくなったといわれています。
 この「追い払い」が「おっぱらみ」とかわり、このあたりをあらわす地名になったということです。

なるほど、江戸時代に行徳で塩が生産されていたんですね。そういえば「塩焼」という地名もありますし、地名に隠された歴史を探るのも面白そうです。それにしても、川をふさいでしまうとは…。

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