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知らなかった!『成田新幹線』が浦安を駆け抜けていたかもしれなかった件

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ご存知でしたか? 今から50年ほど前、東京と成田空港を結ぶ『成田新幹線』が計画されていたことを。

最近、団地マニアで知られる大山顕さんの「実家の場所に成田新幹線が走っていたかも!」という記事を読んで、幻の成田新幹線の存在を知りました。1978年の成田空港の開港にあわせて計画が進められていたのですが、周辺地域の反対運動が激しく、断念したそうです。その後、国鉄が民営化されてJRになり、計画は失効。今では国鉄が解体されてJRになり、資料もほとんど残っていないとか…。

南砂町のちょっと先~西船橋の手前まで、東西線と併走する予定だったらしい

ウィキペディアによれば、成田新幹線は東京~成田を結ぶ路線距離65kmの計画で、駅は「東京」「千葉ニュータウン(仮、現千葉ニュータウン中央駅付近)」「成田空港」の3駅。東京~成田を直通は30分、千葉ニュータウン停車列車は35分で運転することが予定されていたそうです。こうして数字だけ見ると、あの行きづらい成田がすごく近く感じますね…。
ルートを見ていくと、東京を出て荒川あたりから東西線に併走して西船橋の手前まで走っています。なんと浦安も通っていた!! しかし、浦安には停車予定がなく、通過されるだけではうるさいだけで全くメリットが無いということで住民が猛反対したそうです。言われてみればその通り。東西線の隣を新幹線が走り抜けていく様子を思い浮かべてちょっとワクワクしましたが、確かに止まらない新幹線なんて意味がないですね…。浦安町(当時)だけでなく、船橋市・市川市でも議会で反対の議決がなされたほどだったそうです。

大山さんのブログにあったルートマップを落とし込んだ成田新幹線のルートマップ。

このルートを見ていてびっくりしたのが、私の実家もほんとに近くを通っていること!!!
幼少期に遊んだ公園や高校生のときに使っていた駅などの思い出の場所が、もし成田新幹線が通っていたら一体どうなっていたんだろう…と思うと、不思議な気持ちになります。少なくとも、実家はそこにはなかっただろうなぁ…。

京葉線の東京駅はもともと成田新幹線用でつくられたらしい

もうひとつの驚きは、京葉線の東京駅は成田新幹線用の駅として作っていたものを転用した、ということです。う~ん言われてみれば確かに、あの動く歩道のあたりやガランとした広さは新幹線用っぽいかも…?潮見駅の手前で地上に出るところまで、ルートは京葉線と同じだったようです。

「京葉線はもともと貨物用で作られた路線」「舞浜の名前の由来は『マイ(舞)アミビーチ(浜)』」…というのは聞いたことがありましたが、新幹線の話は初耳でした。

やなぎ通りから東西線の路線を見た現在の様子。
FJ310232-2a
もし成田新幹線が通っていたら…
FJ310232-2
こんな風景が見えたのでしょうか。いや、街の発展の仕方はもっと違ったでしょうね。

この記事の執筆にあたり、大山さんに記事引用の許可をいただけるか問い合わせをしたところ、快諾していただきました。この場を借りて御礼申し上げます。

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